Tレックス研究室(7)


前回の続き。
②〜③のプロセス。


アコギで作った曲を、マーク・ボランはスタジオでエレキに持ち替えて、弾き、歌う。
そして、ベースとドラムに、「ここは、がつーんと」とか、「そこはもっとこんな感じで」とか、恐らくはあまり音楽的でない非常に曖昧な感じの指示を出して、まずは3ピースでバンド・スタイルの原型を作り上げていく。
未発表音源集の傑作『Bump'n'Grind』では、その様子の一端がうかがえる。
コーラスやストリングス、ホーンが分厚く重ねられる前の、ベーシックトラックの段階での演奏を聴くと、このバンドを引っ張っていたのがやはりマーク・ボラン以外の誰でもないことがよーくわかる。


ミュージシャンというのは、大きく分けると、「引っ張るタイプ」と「合わせるタイプ」の2種に大別できる。
とにかく自分のノリで押し切ろうとするのが前者、周りのノリをつかんで具合のいいポイントをつかんでいこうとするのが後者。
バンドっちゅうのはおもしろいもので、そうしたいろんなタイプが寄り集まった結果、ドラマーが引っ張ってるバンドや、ベーシストが引っ張ってるバンド、暴走しようとするギターをキーボードでバランス取ってるバンド、とか、大人しいドラムをベースがコントロールしているバンド、とか、全員が激しい主導権争いを展開し続けるバンド……等々、無限のパターンが出現する。
そういう偶然の組み合わせがチャーミングなノリにならないと、バンドは成功しない。
そして、Tレックスの場合は、明らかに、マーク・ボランのギターがバンドサウンドの中心であって、マーク・ボランのリズム感覚がそのまんまバンドのノリを決定づけている。
そもそもマーク・ボランは、エゴの固まりのような人間だったらしいから、そういう人は音楽やってても絶対にそうなるやね。
常に自分が中心。おれに合わせろタイプ。
普段は大人しいのに、楽器持つといきなりエゴ丸出しになるタイプもよくいるけど、マーク・ボランの場合はずーっと一定してエゴ丸出し。
アコギ・デモをエレキに持ち替えただけで既に1人バンド状態になっており、ドラムとベースはそれについて行くばかりである。


そして、だからこそ、マーク・ボランの優れてエキセントリックなリズム感覚は、この②〜③のプロセスを経ても、消失することなくしっかりと形になっていく。どころか、電気の力でどんどん強力に増幅されていく。


プロデューサーのトニー・ビスコンティが真にその手腕を発揮できたのは、恐らく④のプロセスからではないかと思う。
少なくともアレンジに関してトニー・ビスコンティがアイデアを出せたのはこの段階からだろう(それもごく一部だと思うけど)。
もちろんベーシックトラックのレコーディングにおいても、最終的な完成形を見据えながらサウンドは作って録っているはずだけれども、本当の出番はここからだ。
そして、恐らくトニー・ビスコンティは、このプロセスで、実に見事な仕事をした。
エゴの強いマーク・ボランが考えつく常識はずれの変態アレンジは、まともにやってたんじゃ形にならない。
それをかくもゴージャスに、グラマラスに響かせたのは、トニー・ビスコンティの個性だと思う。
稚拙な音楽的知識と絶対的な自信で音楽を作り出すマーク・ボラン、そのエゴの強さを容認した上でマーク・ボランのエキセントリックな魅力を活かしつつ全体をまとめあげるトニー・ビスコンティ。この偶然の組み合わせのさじ加減が絶妙なのであって、ビスコンティのプロデュースによるTレックスの全盛期は、このような奇跡的な化学反応の結果として生まれたものだ。


いずれにせよ、Tレックスが全盛期を迎えた70年代初頭は、まだまだショウビズの世界も、今よりずっといい加減で適当だった。
だからこそ、マーク・ボランのような特異な個性も、変に矯正されることなく、そのままの形でレコードになった。
今だったら、こんなでたらめなサウンド・プロダクションは、レコーディングの過程で、いや、それ以前に、ディレクターなりプロデューサーなりに矯正されて、もっと「ちゃんとした」音楽にされてしまっていたはずだ。
何もかもがいい加減な時代だったからこそ、マーク・ボランのエキセントリシティは、変に手を加えられることなく、それどころか、どんどん増幅される形で、極めて奇妙な音楽を生み出すことができた。
まだまだそれが許容される時代だったということだ。
そういう意味でも、こんな変な音楽は、後にも先にももう生まれないのかもしれません。