おれがきみたちくらいの頃は……


この上半期はずいぶんと残業が多かったので、ミーティングのときに、相当な婉曲表現で、かなり遠回しに、「ちょっと割り当てられる仕事が多すぎるんじゃないのか」といったような主張をほのめかしてみたところ、ボスはそのテーマに直接対峙するのを巧みにかわし、同年代同士で、「おれたちが30や40の頃はすごかった。毎年○百時間は残業してた。それくらいで当たり前だった」「ああ、そうだった、そうだった」的な懐かし話に持っていかれてしまった。
「最近の若いもんはだらしない……」というのが、それほど婉曲表現でなく、比較的明瞭にほのめかされているのである。


そこでさらに反論するほどのことでもないので、「ははは」と大人な対応で済ませる私ではあるが、心の中では、違うよボス、そうじゃないと思うよボス……と思っているんである。


例えば、今まさに定年を迎えつつある50代後半の団塊の世代が、20〜30年前を振り返って、「おれが若い頃はいくら働いても平気だった」「それにひきかえ近頃の若いもんはまるで覇気がない……」等と言ったりするのは、一見まともなように思えるけれども、そうではないのではないかと思う。
正確には、「おれが若かった頃は、誰もがバリバリ働く時代だった」「それにひきかえ近頃は、(おれも含めて)誰もが覇気がない……」と言うべきではないかと思う。


50代のおじさんたちは、近頃自分があまりバリバリ働かなくなった理由を、「自分が歳をとったから」だと思っている。
30代や40代の頃はまだまだ元気だったけど、もう定年も近づいてきたから、そんなには働けなくなったのだ、と。
だから、まだまだ若いお前たちがもっともっと働くべきなのだ、と。
しかし、一般論として、どうもそのようには思えない。


なぜなら、同じようなセリフは、現在(ぎりぎり)30代の自分にだって言えるからだ。


例えば、最近の中学生や高校生がいかに勉強しないかというのは、よく報道されているとおり、いや、それ以上に、なかなか壮絶なものがある。
夏休みの受験生なんかを見ていても、自分の時代とは比べようもないくらい呑気なもんであって、奴らを指導する立場なんかにあったりすると、ほんとにイライラさせられることが多い。
同世代の中では最も勉強しなかった部類であるこのぼくが言うのだから、間違いない。
だから、「おれが受験生の頃は、もっとしゃかりきになって勉強したもんだ」「それにひきかえ今どきの受験生ときたら……」というのは、ちょっと気を抜くとすぐに口をついて出てしまいそうなフレーズだ。


20年前の社会人がよく働いたように、20年前の高校生だって、今よりもずっと勉強していたのである。


近頃の30代が、20年前の30代に比べて仕事をしないのは、近頃の10代が20年前の10代ほど勉強しないのと同じだ。
言い換えれば、20年前はまだ、大人も子どもも、みんなもっとやる気になれる時代だったということであって、近頃は、大人も子どもも、みんなやる気が出にくい時代になってしまったということである。
そういう状況で、「おれが若い頃は……」というのは、言いたくなるのはすごくよくわかるのだけれども、言うべきでないセリフだと思う。


例えば40年前の高度成長期には、大人も子どもも、もっとずっと目をギラギラさせていたと思う。
今、子ども達の目が死んでいるとしたら、それは、大人たちの目が死んでいるのと同じ理由による。


もはや大人はバリバリ働くべき動機付けを失っているのに、バリバリ働かざるを得ない状況だけが残ってしまっている。
もはや子ども達は、必死になって勉強すべき必然性を失っているのに、勉強しろというプレッシャーだけが残ってしまっている。


そのイライラを、「おれがきみたちくらいの頃には……」と外へ向けるのではなく、「おれも昔はこんなふうじゃなかったのに……」と、自分に向けてみた方が、まだ少しは生産的なんじゃないだろうか。
「近頃の若いもん」が、自分といかに違っているかではなく、いかに似ているかということを、じっくり考えてみる方がずっといいと思う。