田植え


毎日死ぬほど仕事して、もうふらふら。
なのにゴールデンウィーク初日は、早朝から田植え。


うちの父母は2人とも農家の末っ子で、うちには財産や不動産など、自分たちで建てた家一軒以外には何もないけれども、親父の本家の方には、田んぼも畑も山もある。
そんでもってその本家の方には、直接の跡継ぎがいない。
順を辿っていくと、辿るまでもなく、家も、田んぼも、畑も、山も、ぼく以外に跡を継ぐ者が誰もいない。
小さい頃から、うちの父母と本家の方の伯父母の4人の子どものようにして育てられた。


その本家の伯父が、最近入退院を繰り返した。
もう元気になっているけれども、本人的にちょっと弱気になったらしく、ここんとこ急に「引き継ぎ」を意識し始めた。


先々週は、山を案内された。
山と言っても、ひと山まるごとというのならわかりやすいけれども、そんなたいそうなものでは全然なくて、少しずつ、何カ所にも散在している。
何度か行ったことのある山もあるけれども、一度も行ったことのないところも多い。らしい。
やがては自分で管理せねばならない山が、どこにあるのかもわからないようでは確かに困る。
半日かけて、そのうちの4ヵ所を回ったまではよかったが、これが、とてもじゃないけど覚えられない。
杉や檜がずーっと植えられていて、そん中で、ここからここまでとか言われても、まるでわからんよ。
一応メモは準備したのだけれども、メモしようにも、ランドマークが何もない。当たり前だけど。


ちなみに、一般論として、日本の林業は壊滅寸前とのことで、とにかく木の値段が安すぎるらしい。
うちの伯父は山が好きで、よく見ると、周囲に比べて、うちの山は手入れが行き届いているのがわかる。
抜き切り(間引きみたいなもんか)や枝打ちがきちんとされている。
枝打ちは、数年前に、森林組合に依頼して、1本いくらとかでやってもらったらしい。
それに数百万単位の金がかかっている。
そうやって育てた檜が売り物になるには、まだ何十年もかかる。
しかし、今の値段だと、売っても植林の段階からかけたコストをどうにか回収できる程度にしかならないんじゃないかという見込みもある。
檜山なんて、持っててもしょうがねえっちゅうのが、地元でも共通認識になりつつあるらしい。
かえって雑木林のがいい、とか。
日本の山が荒れるのも当たり前だ。
もらってもあんまり嬉しくないぞ、山。
固定資産税見せてもらったら、1ヵ所につき数百円だったけど(笑)。


で今日は、田植え。
田植え、好きです、ぼくは。
田植えは季節もいいし、気持ちがいい。
だんだん自分の田植機の運転(操縦?)スキルも上がってきて、難しいところもきれいに植えられるようになってきた。


四角い田んぼは簡単だ。
難しいのは、イレギュラーな形をした田である。
それぞれの田に合わせたストラテジーと、それを実現する細やかな操作技術が必要になる。
昔は、真っ直ぐ植えるだけのことがなかなか難しかったのだけれども、今では、曲がりくねった畦ぎわのフィニッシュでも、伯父の手を借りずに仕上げられるようになった。
うまく植えられると気分がいい。


日本の農業政策も、林業に負けず劣らず、あまりに非道い。
減反のシステムとか、詳しく聞いてみると、お人好しの農家の人たちが体よく騙されているとしか思えない。
日本の田んぼが荒れるのも当たり前だ。
まあ、長くなるのでこの話はもうやめますけど。
愚痴ばっかりになるし。
でも、田んぼは山よりかはずっと「わかりやすい」から、ゆくゆくは何とか自分でやれればいいなあと思います。
ま、定年まで無理、か。


とりあえず、現状、ぼくにできるのは、籾蒔きと田植えだけ。
まだまだ田んぼの「引き継ぎ」は無理です、伯父さん。