イースター島の謎(5)

ぼくが見たのとはちょっと違う



島内1日ツアーを終え、夕方、ホテルに帰着。
夜は何も予定がないのでどうやって過ごそうかと思案していたところ、相変わらず誰もいないフロントで、地元の伝統ダンス・ショーのチラシを発見。
差し当たってフロントに誰もいないので申し込めないけれども、これでも見てみるかと話す。


日が暮れるまで、しばしホテル近辺を散策。
だだっ広い野っ原に、プレハブ小屋のような民家が点在していて、子どもが遠巻きにこちらを見ていたりする。
歩いているうちに、島に2軒あるというディスコの1つを発見。
ディスコっつっても、石を積んでセメントで固めたような壁の、小さい小屋のような建物で、どう見ても農機具庫か何かにしか見えない。
まあ、納屋、だな、あれは。
看板がなければ誰もディスコとは思うまい。
夜、気が向いたら来てみるか、くらいの感じで通過する。


ホテルに戻って夕食。
おお、他にも結構客がいる。
席に座って待っていると、またワゴンに料理をのせてやって来たのは、ゴンザレスである。
やはり、か。
メニューももうわかっている。
大雑把な料理と、がすがすしたパン、だ。
ビールをがんがん飲んで流し込む。
イースター島には、恐らくチリ産と思われるピスコという蒸留酒があって、これが実に美味なのだけれども、この時点ではまだ発見していなかったと思う。


食後、フロントでダンス・ショーのツアーを申し込む。
結局フロントに出てきたのは、ゴンザレスであった。
やはりこのホテル、ゴンザレスしかいないのではないか。


ホテルの前にマイクロバスが迎えに来て、会場へ。
案内役は、やはりゴンザレスである。
会場はホテルのすぐ近くだった。
レストランのような、大して広くないワンフロアの平屋の建物で、後ろ半分に椅子が並べてある。
客はぎっしり入っている。
さすがにみんな夜はやることないのか、観光客が集結してる感じ。


ポリネシアン・ダンスは既にタヒチでも見ていたし、正直、大して期待していなかった。
しかし、いざ始まってみると、これが何とも熱い。
後方にガット・ギターを構えた半裸の男たち(冠り物+腰ミノ+刺青)が並び、前には、同様のコスチュームの女性ダンサーたちが並ぶ。
ハワイやタヒチでやっているような、よく見るポリネシアン・ダンスとさほど違いはないのだけれども、熱気が違う、テンションが違う。
決して観光客用の見せ物的な雰囲気でなく、パフォーマーたちが本気で盛り上がっている。
ちなみに、今日アップしている写真はあくまでも参考用です。
ぼくが見たのとは若干違う(笑)。
おもしろかったので、他のサイトから失敬してきました。


単なる暇つぶしのつもりが、予想外に大満足して終了。
会場を出ると、既にゴンザレスが待っていてくれたのだけれども、迎えのマイクロバスがなかなか来ない。
同じホテルの人々としばらく待つが、来そうにないので、ゴンザレスが、「歩きましょう」と提案する。


実際、歩いた方が早い。
ホテルはすぐ近くだ。
ゴンザレスの先導で、暗い夜道をみんなで歩いてホテルに向かう。
少し歩くと、街灯もほとんどなくなる。
星が実にきれいだ。


ゴンザレスは、たどたどしい英語を話す。
ときどき、何を言っているかわからない。
が、我々は、ゴンザレスと並び、彼と話しながら歩いた。


それは、もうすぐホテルに着こうという頃であった。
辺りはすっかり真っ暗で、足もとも覚束ない。
ゴンザレスが、遠くを指さして、「あれ、私の家族です」と言った。
しかし、彼が指さしている方向をいくら凝視しても、暗闇の中に裸電球か何かの小さな光がぽつんと1つ、どうにか見えるだけで、あとは何もない。
彼は確かに「family」という語を使ったのだけれども、彼の英語は相当にブロークンである。
これはきっと「house」の間違いであろうと判断した。
あの小さな灯りが、彼の家の灯りなのである。
小学生レベルの英語力しか持ち合わせない愚妻にも、そのように解説してやった。


ゴンザレスと、他に何を話したのかはよく覚えていない。
南十字星はどれだと聞いたが、通じなかったのは記憶している。
そうこうして歩いていくうちに、徐々に視界に入ってきた光景に、ぼくは愕然とした。
さっきゴンザレスが「my family」だと解説した遠方の灯りの方へ近づくにつれ、その灯りの周囲がだんだんはっきりと見えてきた。
すると。
確かに見えてきたのだ。
玄関先にぶら下がった電球の下で、椅子に腰掛け、こちらに向かって手を振っているゴンザレスの家族の姿が!
なんだかわからんが、確かににこにこしてみんなでこっちに手を振っている!
て言うか、ずっと手ぇ振ってたのか、この人たち。
ゴンザレスの英語は間違っていなかった。
そして、彼にはあの時点で見えていたのだ、あの家族たちが。


断っておくが、当時、ぼくはまだメガネを必要としていなかった。
両眼で1.0はあったはず。
愚妻はいまだに1.5だか2.0だかの視力を持っている。
我々には、電球の灯りがぽつんとようやく見える程度であった。
あの段階で、そこに人を識別できる視力は、尋常ではない。
いくら何でもそれはないだろう。
単に灯りが見えたから、その下には通常、自分の家族が座っているはずだ、というようなことなのかもしれない。
我々は、協議の結果、そのように判断すべきではないかと結論づけた。
絶対にそうだと思った。


ホテルに戻ってしばらくくつろぐが、まだ夜は早い。
寝るには早い。
よし、ディスコだ。
再び外出準備をして、外に出る。


ディスコの場所は夕方の散歩で確認してある。
しかし、いかんせん、周囲は真っ暗である。
だいたいの方角はわかるのだけれども、まず道が見えない。足もとが何も見えない。
道、と言っても、草の生えた野っ原の真ん中を突き進むわけで、要するに草の生えていない部分が道である。
懐中電灯で足もとを照らし、「道」を確認しながら、ゆっくりと進む。


そうやって歩いていると、時折、前方からふと、ざくざくざくざく……と、人の歩く音が聞こえてくる。
と思うと、暗闇の中、我々の照らす懐中電灯の明かりの範囲内に、にわかに黒い肌の人間が現れ、にこやかにこちらに手を振ってすれ違っていく。
地元民である。
彼らは懐中電灯も何も持ってはいない。
足元を照らし、及び腰でそろそろ進む我々を、不思議そうに笑って眺めながら、奴らはすたすたとすれ違っていく。
見えるのだ、奴らには。
こんな暗闇など、彼らには暗闇ではないのだ。


この時点で、我々は改めて確信した。
ゴンザレスには、やはり「family」が見えていたのだ、と。
アフリカの人たちの尋常でない視力の話は聞いたことがある。
イースターの人々も、きっと同じなのだ。
遠くが見えるだけではない。
暗闇でも見えるのだ。
人間の眼は、もともとそんくらい見えるものなのだろう。


我々には、遠く、ぽつんと光る灯りがようやく見えるくらいの時点で、その下に腰掛けて手を振る人物までをも識別できる視力。
そのようなものに思いを馳せる。


ようやく「ディスコ」にたどり着く。
貧相な小屋のドアを開け、中に入ったとき、ぼくは驚きのあまり、ひっくり返りそうになった。
受付に座っているお前は……
ゴンザレス!
何やってんだ、お前、こんなとこで!
ホテルはどうした、ホテルは!
夜はディスコの店員かよ!


当のゴンザレスは、「やあ、よく来たな」てなもんで、粗末なチケットを渡してくれる。
思えば昨日、我々をホテルで出迎えてくれたのもゴンザレスだった。
今朝早く、ワゴンに乗せて朝食を持ってきたのもゴンザレスである。
夕食も、ダンス・ショーの受付も案内も、みんなゴンザレスだった。
この時点で、我々はいくつかの仮説を立てることになる。
イースター島で働いているのは、ゴンザレス1人である。他の人たちはみんな家で寝ている。
②ゴンザレスは2人、もしくは3人いる。
イースター島の人々は、みなゴンザレスのような顔をしている。


ともあれ、ディスコの店内へ。
まだ時間が早いのか、ほとんど人がいない。
石をセメントで固めた壁には、蛍光塗料で下手くそなモアイが描かれている。
流れている音楽は、いんちきレゲエのような、にせラテンのような、あいまいな安っぽい曲だ。音楽にはそれなりに詳しいつもりだが、あまり聴いたことがない種類の音楽である。
モニターらしきものも一応設置されているが、映っているのは、何故かタヒチの観光案内ビデオだ。


アルコールを注文し、愚妻とちびちび飲みながらまったりしているうちに、だんだんと地元民が集結し始め、場が熱くなってきた。
おおお、やっぱりこんなに人がいるのか、この辺にも。
しかも、ノリが完全にラテンである。
昼間はどこに潜んでいるんだ、この人たちは。
何を言っているのかさっぱりわからないけれども、次から次へと話しかけてくる。
しまいには我々の飲み物に勝手に口をつけ、愚妻をフロアに連れ出していっしょに踊り始めた。
若い衆もいるが、おっさんが多い。
ディスコは、数少ない娯楽の1つなのかもしれない。


イースターの夜は十分に堪能した。
受付のゴンザレスに声をかけ、ホテルへ戻る。
帰りも懐中電灯で慎重に。
暗闇に突然地元民が現れても、もう驚かない。
部屋に戻っても、遠くディスコの方角から、いんちきレゲエの音が聞こえてきた。
就寝。


翌朝。
イースター最終日である。
昨日の続きの、半日の島内ツアーが予定されている。
早くに起きて、食堂へ。
もう驚かない。
我々の朝食を運んでくるのは、もちろんゴンザレスである。
他に誰がいるというのだ。
彼に疲労の色は、微塵も見えない。
こいつはいったいいつ寝ているのだろう。
やはりゴンザレスは2人いるのかもしれない。


昨日と同じガイドでイースター観光。
今日は参加者が違っていて、7,8人か。
昨日見なかった、島の北側の方をまわる。
相変わらずの非現実的な風景と、モアイの非日常性を堪能する。
この辺は筆舌に尽くしがたいので、またうちに来て写真でも見てください。


昼にツアー終了。
午後は、村のスーパーで土産物を買ったり、ホテルでのんびりしたり。
夜9時のラン・チリ航空の便で、タヒチへ戻る。
2泊3日のイースター観光、終了。
たいへん充実した3日間でした。


以上は8年前の情報ですが、みなさん、チャンスがあれば是非どうぞ。
おすすめです。


ちなみに、今日、ネットでこんなニュースを見つけました。


『日本の技術でモアイ起こせ=建機メーカーがクレーン寄贈−チリ』
【リマ8日時事】太平洋上の絶海の孤島、チリ領イースター。世界7不思議の一つ、巨石人像モアイで知られるが、部族間抗争で引き倒されたりした結果、島に900近く点在するモアイのうち、立っているのは300程度。倒れたモアイを得意の技術で立ち上げようと、建設機械メーカー「タダノ」(高松市)が8日、同社製60トンつりクレーン車(約6000万円)を寄贈した。
 同社がモアイ修復を始めたのは、1988年、テレビ番組で同島知事が「クレーンさえあれば起こせるのに」と語ったのを社員が耳にしたのがきっかけ。国際修復チーム設立に尽力するとともに、92年に最初のクレーンを寄贈した。(時事通信


イースター、モアイについては、今回の旅行記を書くにあたって、以下のようなサイトを見つけました。
ご参考まで。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8835/easter.html
http://www.asahi-net.or.jp/~yf5f-wtnb/index.htm
http://landsend.cool.ne.jp/rapanui/index.html


(了)