パラオ(出張)紀行(2)

PPRの夕陽



7時起床。ホテルのレストランで朝食。バイキング。
取り立てて特徴のあるメニューではない。日本人観光客が多いからか、味噌汁やお粥なんかもある。
9時にロビーでボスと待ち合わせて、少しミーティング。
9時半にタクシーを呼んで、用務先1へ移動。


パラオは狭い島なので、公共交通機関がほぼないに等しい。
朝夕はバスが走っているらしいけれども、なんだかよくわからないので、タクシーを呼ぶくらいしか、移動手段がない。
と言っても、5分くらい走るだけだから、タクシー料金は5ドル程度。パラオの通貨は米ドルなので、600円くらいか。
タクシーにはメーターがなくて、この辺からあの辺までは3ドル、あの辺からその辺までは5ドル、といった具合に、大雑把に値段があらかじめ決まっている。


タクシーに乗り込むなり、ボスが「割り勘な」と言う。
そりゃないぜ、ボス。
別にいいけどさ。
5ドルだよ、5ドル。
おれ、貧乏だけど、逆の立場だったら出すと思うよ、5ドル(笑)。
親子ほども年の違う部下だよ、おれ。
今回の交通費だってボスのがたくさん支給されるんだよ。
ボス、飲み会の時も、ヒラより高い値段設定だと渋るよね……。


10時、用務先1にて、相当偉い人と面会。
今回の出張で、最も重要な用務と言える。
ちょっと難しいのではないかと思われたこちら側の提案が二つ返事で承諾され、5分で話まとまる。


今回パラオでいくつか交渉ごとをして感じたのは、要するに、パラオ人は、面と顔を合わせて頼めば、何事もノーとは言わないということ。
みんなおおらかで、とても人がいい。
細かいこと気にしない。
わざわざ日本から来てくれた客にノーとは言えない。そんな感じ。
財政状況はかなり苦しいだろうに。
ちなみに、メールやファックスではなかなか話が進まない。
特にファックスだと、この1年、一度も返事が来なかった。
会ったら一発。


ついでに、同じオフィスにいる、たいへん偉い人への面会を申し出てみたところ、すんなりOKが出て、接見。
念のためにお土産を用意しておいてよかった。


うちのボスは英語が好きで、個人的にも時間を見つけて勉強しているようだけれども、パラオ人の操る独特の英語にはやはり歯が立たない様子で、基本的に1人で話を進める。
パラオ英語に最初は躊躇したけれども、だんだん慣れてきて、次第に理解できるようになってきた。


相当偉い人にランチに誘われ、車を出してもらって、11時過ぎにPRR(前回参照)のレストランへ。
去年出来たばかりなので新しくてきれい。
接客用には専らここが使われるらしい。
相当偉い人がいっしょなので、ちょっとしたVIP待遇な感じ。
ホテルの偉い人たちが次々に挨拶に来る。
がんがん食いながら、パラオの概況などの話をうかがう。


食後、相当偉い人、退席。
しばしPRRの敷地内を散策。
相当偉い人が運転手をよこしてくれたので、その車に乗って、次の用務先2へ移動。
2時に、結構偉い人と面会。
相当偉い人に既に承諾を得た案件Aについて、具体的な話を詰める。


相当偉い人は快諾してくれた話でも、実務を取り扱うことになる、結構偉い人のレベルでは、やはりシビアな問題が多いらしく、時折渋い表情が垣間見える。
でも、相当偉い人から既に指示が出ていることもあってか、決してノーとは言わない。
一所懸命に対応してくれているのがわかるので、こちらも、誠意に応えるよう頑張らねばという気持ちになる。


休み間もなく、結構偉い人が用意してくれた車に乗せてもらって、次のアポイントのため、用務先3へ移動。
3時半に、まあまあ偉いのかもしれない人と会う。
この人は、日本担当官ということで、流れ的に会うことになっただけなので、特に用件はない。
同じオフィスにシニア・ボランティアとして在籍している日本人のYさんにも同席してもらい、しばしパラオについての雑談。
まあまあ偉いかもしれない人は、プロ並みの技術を持つダイバーでもあることがわかった。


まあまあ偉いかもしれない人に案内してもらい、4時に、すぐ向かいにある用務先4へ。
かなり偉い人と会う。
まあまあ偉いかもしれない人、それよりもちょっと偉いと思われる人も同席し、かなり偉い人と、案件Bについて協議。
この案件については、もともとうちのボスもいまいち消極的で、話が盛り上がらない。
先方も同じ。
曖昧な結論で協議を終える。
本日の業務終了。


まあまあ偉いかもしれない人よりもちょっと偉いと思われる人が車を出してくれるというので、乗せてもらう。
この人は、日本語がペラペラ。
苗字も日本名だ。


パラオの歴史を語り出すと非常に長くなるけれども、要するに、戦時中は日本の統治下にあったので、老人の世代はみな日本語教育を受けていて、その当時の、美しい日本語を話す。
日本人の血を引いた人も多い。
パラオでは日本人もあまり非道いことをしなかったのか、対日感情が極めてよい。
パラオ語には、たくさんの日本語が混入しているし、日本風の名前を持つ人がたくさんいる。
ただし、姓と名、男名と女名などは滅茶苦茶になっている。
例えば、相当偉い人の奥さんは、ミドルネームが「キンタロー」だった。
「カトサン」という苗字の人もいる。「加藤さん」の「さん」もまるごと使っちゃったらしい。
「ショーグン」っていう名前の子どももいた。


戦後はアメリカのシステムが導入されて、何もかもがアメリカ式になっているけれども、老人の世代は、アメリカ風の自由主義パラオをダメにしたと考えている人が多いらしく、日本の教育の方がよかった、という意見が根強い。
そして、パラオではまだ割と老人が尊重されているので、そのような老人の意見が若い世代にも浸透するのだという。
まあほんとにそうなのかどうかはよくわからないけれども、確かに、相当偉い人も、アメリカの悪口を言っていた。
ただし、パラオの国家予算の40%はアメリカからの援助だ。


ホテルに戻ってもよかったのだけれども、うちのボスが、PPRに連れて行ってくれとリクエストしたので、まあまあ偉いかもしれない人よりもちょっと偉いと思われる人の運転でPPRへ。
5時頃着。


しばしPPRの敷地内を散策。
プライベートビーチなどを、ネクタイしたまま歩く。
あまり嬉しくない。


オープン・エアのレストランに入るが、ディナーメニューは6時半からだと言う。
とりあえずビール飲んで待つことに。
待ってる間、ボスがふらふらと何処かへ歩いていってしまい、そのまま放置される。
荷物預かってるし、動くに動けず、タバコ吸いながらぼんやりビーチを眺めたり、ガイドブック見たりして、放置プレイに耐えること1時間。


PPRのプライベートビーチは、夕陽の名所。
夕焼けがきれい。
でも、水平線に沈むところは、雲が多くて見えなかった。


ディナータイムまで待って、ボス、帰還。
夕食をご馳走になる。
そうそう、それ。ボスたるもの、そうでなくては。


食後、タクシーでパレイシア・ホテルに帰る。
わかってますよ、ボス。
タクシーは割り勘ね。はい。


ホテルに戻ると、ボスの部屋の前で、中国人女性が待っている。
なんとボス、昨夜、到着後いきなりに、周辺にある怪しげな中国式マッサージを既に体験済みで、今夜も続けて手配してあったらしい。
しかし、よくよく話を聞いてみると、決して怪しいものではなく、内容は至極真っ当なマッサージで、腕もいいとのこと。
値段は1時間で20ドルから25ドル。
なるほど、それならいいかもしれない。


とりあえず荷物を置いて着替え、ホテル周辺のスーパーへ。
土産物を物色したり、パラオの日用品を眺めたりして、10時頃までぶらぶら散策。
でもまだ何も買いません。


ホテルに戻り、ボスに倣って中国式マッサージをオーダー。
やって来た中国人女性はほとんど英語が通じないので、話もできず、ひたすらマッサージを受ける。
肩胛骨の辺りがえらいことになってるのが自分でもわかる。
アジア風のオイルマッサージで、どこが中国式なのかよくわからないけれども、確かに普通に上手。
安いし、一所懸命だから、納得。


パラオの人口は約2万人。
そのうち5千人は外国人で、フィリピンやバングラデシュや中国から来てる人が多い。
パラオ人を雇うと時給が2.5ドルくらい。一方で、外国人は月給で150ドルくらいだそうだ。
だから、パラオ人は、いわゆる3Kの仕事にはほとんどつかない。
パラオの人は、アメリカで働くのに就労ビザが要らないので、稼ごうと思ったらみんなアメリカに行ってしまう。
グアムまで行けば、時給5ドルの仕事がいくらでもある。
パラオでサービス業や接客業に従事しているのは、ほとんどが外国人である。


マッサージの後は、部屋でテレビをぼんやり見る。
NHKが見れる。
あまり海外にいる気がしない。
思ったより過ごしやすく、エアコンを切っても暑くない。
昨日雑貨屋で買っておいたビール1缶飲んで就寝。熟睡。
2日目終了。