文豪の毛量について
しばらく前に古本で買って読まずに置いてあった、中公文庫の『主題と変奏』吉田秀和というのを何気なく開いてみると、カバー裏側に著者の写真が出ている。
見たところ、40代か50代か、とにかくもうそれなりに齢を重ねた頃の写真のようだけれども、この写真、とにかく不自然なくらいに毛が多い。しかも黒い。
いまどき、この年代の人間がこんな頭髪情況であれば、間違いなくヅラだと思われるだろう。
しかし、もちろんこれが自前の毛であるのは、その後白髪化していくことからも明らかだ。
そうやって考えてみると、明治生まれや大正生まれくらいまでの日本人には、こういう年齢になっても、異常な毛量(もうりょう・造語です。今、造りました)を誇る人が少なくないように思われる。
真っ先に思い浮かぶのは、小林秀雄。
晩年はやや生え際が後退し、色も真っ白になっていくけれども、それでも量は見事だし、何より若い頃の写真を見ると、その毛量は、現代人の目から見ると異常だ。
ネットでその頃の画像を探してみたのだけれども、あいにく晩年のものしか見つからず、掲載できないのが残念。
川端康成、芥川龍之介、太宰治といった文豪メジャーも、さすがに悩みすぎたのか、生え際こそ後退しているものの、生えている部分以降の毛量は、現在の日本では見られないレベルである。
て言うか、多いだけでなく、1本1本が太そう。固そう。
一方、禿げる者は潔く禿げる。
谷崎潤一郎、森鴎外、内田百輭、志賀直哉。
富める者は悉く富み、貧しき者はあくまでも貧しい。
DNAが実に明快に頭部に反映される世界。
比較的新しい世代では、小澤征爾とかもすごい毛量だと思う。
吉田秀和とは、音楽つながり、か。
確かに、音楽家は毛量が多い、という漠たるイメージがある。
戦後の日本人の食生活は、明らかに我々から、野太く、抜けない毛髪を奪っているものと思われる。