年末年始


去年まで、年末年始の休みは、少なくとも連続2週間は取れていたのだけれども、今年の職場は29日〜正月3日の6日間だけ。
必然的にその6日間にイベントが集中して、実に濃厚な年末年始になってしまった。


12月29日。
餅つき。朝から子ども達を乗せて田舎の伯父母宅へ。職場のオーストラリア人も1人連れていく。
5臼ついて鏡餅等を作ったあと、あんこや大根おろしで食べる。
食べるときは、当然飲む。
休暇初日の昼から、早速アルコール摂取スタート。
夕刻帰宅。
夜は夜でまた飲みます。


12月30日。
朝から大掃除。
大掃除は好きなんだけれども、今年は半日くらいしか時間が取れない。
ものすごく中途半端なことになってしまった。
息子が磨いた窓は、汚れをこねくり回しただけで、状態が悪化している。
夕刻、バロちゃん一家来訪。
互いの妻子を拙宅に残し、外に出て教祖と合流。
既に来ているはずだった「3」から電話が入り、「今、東京駅」などと言っている。
約3時間後に合流し、「3」のえげつない話で大盛り上がり。
深夜2時近くまで痛飲。
「3」は例によってうちに泊まる。


12月31日。
朝から「3」がうちの洗い物をしている。
昼前に駅まで送り、「3」と入れ替わりに、愚妹とそのフィアンセの英国人をピックアップ。
実家へ行って、昼から宴会。刺身、揚げ物。
昨夜の飲みで体はだるいが、二日酔いではない。
極上のタコ刺しについつい酒が進む。
夕刻帰宅。
よせばいいのに、年越しそばを食べながら、また日本酒を少し。
紅白、だいたい見た。
普段、歌番組をほとんど見ないので、「ほほう、なるほど、これが○○か」というような感想が多い。
子どもを寝かしてうたた寝してる間に年が明ける。


1月1日。
紅白の後、3時頃までだらだらテレビ見たけど、朝8時起床。
9時すぎに家を出て、近所の神社へ初詣。
おみくじを引いたら末吉で、あんまりいいこと書いてなかった。
娘、大吉引く。
10時に実家へ行って、またすぐ宴会スタート。刺身、おせち、雑煮。日本酒。
2時間くらいで切り上げ、今度は父方の田舎へ移動。
親族集結して、15時に午後の部の宴会開始。すき焼き、カニ
愚妹のフィアンセのお披露目も兼ねているので、延々続く。
20時過ぎ帰宅。
起きている間は常に飲酒している状態なので、封印していたコンクレバンを使用する。
コンクレバンは肝臓エキスだから、プリン体の固まりなのではないかと考え、尿酸値を意識してやめていたのだけれども、それよりも肝臓のが大事だ。


1月2日。
昼前に、M編集長に迎えに来てもらって、高校時代の同窓会に出席。
12時スタート。
卒業20周年とのこと。
あまり馴染みがない、と言うか、はっきり言ってクラスにはほとんど友だちがいなかったので、参加についてはかなり逡巡した。
編集長と相談したところ、「お前が行くならおれも行く」と言うので、そんじゃあってことで行くことになった。
参加者十数名。当時の担任も出席。
12時から、2次会のカラオケまで含めて、18時まで飲む。
ビール、焼酎、酎ハイ。
結果的には、何と言うか、やはり微妙な場であった。
愚妻は子ども達を連れて里帰りしているので、同窓会終了後は実家へ歩く。
両親と愚妹と英国人がちょうど飲み始めたところだったので、流れ的にそのままいっしょに飲む。
ビール、日本酒、ワイン、焼酎。
深夜、1人で帰宅。


1月3日。
昼前に、母方の田舎へ。
母方の親族が集結。
40を過ぎた大阪の従兄が結婚したらしく、そのお披露目と、うちの英国人のお披露目も兼ねている。
12時、宴会スタート。刺身、寿司、おせち。ビール、日本酒。
だらだら続く。
英国人も、連日ワケのわからない田舎を連れ回されては酒漬けにされているので、気の毒に思うけれども、常に精力的に飲み食いしているのがたくましい。
自分も、だんだんこの「常に飲んでいる」状態に体が慣れてきたらしく、常時眼前にビールがあることが、まるで自然に思えてきた。
特に体もつらくない。
夕方いったん帰宅。
17時半の電車に乗って、18時半開始の飲みに向かう。
昨日とは逆の立場で、今度は「恩師」として教え子の同窓会に出席。
ビール、酎ハイ。
普通に飲む。
教え子は25〜26歳で、さすがにかなり大人になっているので、楽しく飲める。
しばらく会っていなかったバイオリニストのTYは、年末、レコード大賞→紅白→カウントダウンTVにハシゴ出演していたらしい。
歌番組を見ると、いつも出ていないかチェックしてるつもりだけれども、紅白見てても全然気づかなかった。
こいつは有名人裏話をたくさん持っているはずだが、人払いも出来ないので、聞き出せず。
23時まで飲んで終電で帰宅。
冬休み終了。