うなる系ミュージシャン


音楽の才能というのは非常にシビアなもので、もちろん多様な段階があるだろうけれども、ある者には歴然とあるし、ない者には、もうはっきりと、ない。らしい。
才能があれば、二十歳から楽器を始めてもプロになれるし、なければ3歳から始めてもなれない。
て言うか、才能のない者は、3歳から始めても結局長くは続けられない、というのが実際かもしれない。
逆に、音楽のデーモンに取り憑かれし者は、どんな環境に育っても、否応なく音楽に吸い寄せられていくのだろうと思う。


実際には才能の在り方も多様であって、もちろん一概には言えないけれども、ひとつ、ずーっと感じているのは、天賦の演奏の才に恵まれている人々の特徴として、異常なほどの集中力というのがあると思う。
いや、違うな。
集中力、っちゅうか、演奏が始まった途端、瞬時にして音楽に入り込んでしまう能力、とでも言いましょうか。
違う次元でとんでもなくデキる人々には、演奏していると、他のことは何も見えなくなって、完全に音楽の世界だけに没頭してしまえるような性質がよく見られる。
演奏が始まったら、最初の1小節でもうすっかり音楽の中に入ってしまう、能力と言うのか、性格と言うのか、何と言うのか、とにかくそんな傾向。
そういう人が、他のことに対してもすさまじい集中力を発揮する、というわけでは、たぶん、ない。


自分はどうかと考えてみると、これはもう全然ダメで、特に人前で演奏するときなどは、色んなことが気になって、とても音楽に集中できない。
こういうタイプはおそらくダメで、どんなに頑張っても音楽の上層の世界には行けないに違いない。
身近なところで一緒に演奏していた人々のことを振り返ってみても、やっぱり本当に上手い人というのは、演奏してるときに顔つきが変わってしまうようなタイプが多い。
演奏が始まると、明らかに日常とは違う顔つきになっていて、それは決して見てくれのいいものでもないのだけれども(笑)、要は、ちょっと目つきがイッてしまっている。


いや、巧い人は必ずそうだというわけではないですよ。
ひとつの典型として、音楽の天才にはえてしてそういうタイプが多いんじゃないかというだけです。
クールで、なおかつ上手いひとも当然いる。


こないだテレビで上原ひろみが演奏してるのを見たけど、やっぱり演奏してるときはトークのときと完全に顔つきが変わっちゃってて、もう見てくれなんかまるで気にしてない、演奏してるのが楽しくてしょうがなくて、音楽以外に何も見えてない、っていう、そういう状態に明らかになってる。
トークだと、おっとりした雰囲気の、ごく普通の女の子なのに。
ああいうのは、真似しようったってできるわけがない。


以上、前置き。
長くなってしまった。


で、そういうタイプの究極の姿が、ぼくが勝手に「うなる系」と呼んでいる人々ではないか、という、そういう話。


「うなる系」というのは何かと言いますと、要するに、音楽に入り込むあまり、演奏しながら、おそらくは無意識のうちに、うなってしまってる人々(笑)。
自分の演奏しているメロディらしきものをうなってる人もいるし、うー、とか、ふんっ、とか、ぐふぅ、とか、非常に動物的にうなる人もいる。
ここまで来ると、もうちょっと神の領域の人が多くて、どういう状態になっているのか常人には理解しがたい。


すぐに思いつくのは、何と言ってもキース・ジャレット
「スタンダーズ・ライヴ」なんかを聴いていると、もううなるっちゅうか何ちゅうか、あーっ、とか、うぎゃーっ、とか叫びっぱなしの吠えっぱなし。
スウィンギーな曲だけでなくて、バラードでもうなる。
「ケルン・コンサート」とかも、解像度の高いヘッドフォンで聴くと、結構うなってるのが聞こえます。
レコーディングの度に、エンジニアはきっと苦労してるに違いない。


あとは、バド・パウエルなんかもうなるし、グレン・グールドもうなっている。
グールドの名盤「ゴールドベルク変奏曲(81年の方)」は、スピーカーで聴いている分にはさほど気にならないけれども、ヘッドフォンで聴いてると、最初っから最後まで、ふんふんふんふん歌いっぱなし。
黙って弾けよって言いたいけど、そういう次元じゃないんだろう、たぶん。
レコードではあまりわからないけれども、チェロのパブロ・カザルスなんかもうなってたらしい。
勝手な想像だけれども、ウェス・モンゴメリーとかもうなってそうだ。
ドラマーがうなるのは、さすがにレコードには収録されないだろうけども、よく見てると口が動いてる人、結構いるような気がする。
決めつけだけど、テリー・ボジオとかトニー・ウィリアムスあたり、どうせうなってるんじゃないだろうかと思う。


ピアニストにこのタイプが多いのは、何かワケがあるんだろうか。
管楽器はうなりたくても物理的にうなれないし、単に、ピアノはレコーディングで奏者の声を拾ってしまいやすいだけかもしれないけれども、そうではなくて何かもっと深い理由があるのかもしれない。


ただ、こうやって書き出してみると、結果的に精神のバランスを崩してしまった人が多いのも事実だ。
グールドも変人で、コンサートのとき、ステージに上がってから30分も延々とイスの高さを調節し続け、その間ずっとオーケストラを待たせてたとか、奇行のエピソードがたくさんある。


やっぱりピアノという楽器の性質にも、多少関係があるかもしれんという気がするな。
だいたい、ピアノっちゅうのは、88の平均律の鍵盤が、実に数学的に整然と目の前にずらっと並んでいるわけで、ああいうのはあまり精神衛生上よくないんじゃないかと思う。
ピアノの前に座ると、やっぱりギターを抱えたときよりも、ひとつの「世界」に対峙している感じが強いし、楽器の属性として、「向こう側」が見えやすいんじゃないか、と。
考え過ぎか。