RCサクセション研究室 その7


何だかんだ言って、結局RCは、日本のロックバンドのひな型になった。
市場に素地を作り、良くも悪くも、日本のロックバンドの基本的な佇まいを決定づけたのは、やはりRCだろうと思われる。
とりあえず、日本で「ロック」って言ったときに一般に連想されるイメージ(何かっちゅうとすぐ「イェー」とか「ベイベー」とか言ったりするような)は、かなりの部分、RCによって方向づけられたものだ。


当のRCは、フォークスタイルからロックバンドへ変化する際、洋楽のスタイルをかなり意識的に模倣している。
清志郎がバンドスタイルへと変化することによって売れることを目指したのは、今の奥さんの石井さんと結婚したかったかららしい、という話は前にも書いたけども、そういう開き直りがあったからか、この時期のRCは、様々な洋楽のスタイルを、大胆に取り入れた。
ステージングも、メイクも、曲そのものも、この時期は、清志郎の本来の音楽的趣味をも離れたところに、いろんな元ネタがある。


日本のロックは、RCを通じて洋楽のスタイルを取り込むことによって、現在の基本的な枠組を作った、とまで言ったら言い過ぎか。
そういう意味では、RCというロックバンドは、オリジナリティと言うよりも、西洋で生まれたロックという形式を、日本に馴染むスタイルに巧妙に加工し、解釈し直して取り込んだ、その点において、最も偉大だったのかもしれない。
日本でロックバンドをやる、日本語でロックをやるということそのものに、まだまだ一般的には躊躇があった時代に、「こうやればサマになる」というわかりやすい形を提示した。それが結局は最大の業績なんじゃないだろうか。
以前、奥田民生がインタビューで清志郎の業績について、「一生のうちにあれだけたくさんのことは出来る気がしない」というようなことを言っていたけれども、民生は、日本のロックシーンで清志郎が果たしてきた役割をよく理解しているのだと思う。


いや、詞の話を書こうと思ってたんだった。
詞に関しては、清志郎は、洋楽のスタイルを借りるまでもなく天才なわけだけれども、意図的に洋楽のスタイルを取り入れてもいる。
そしてそれが結果的に、日本語によるロックの幅を、急激に広げた。
その成果は計り知れない。


例えば「雨上がりの夜空に」という曲は、車をセクシャルなメタファーとして(「♪こんな夜にお前に乗れないなんて……」)書かれているけれども、これは、ブルースの伝統的な手法だ。
ブルースは、単に孤独やトラブルを歌ったものばかりでなく、自身の性的能力を誇示したり、巧みなメタファーでセクシャルなイメージをかき立てるパターンも王道である。
ロックのルーツのルーツ、30年代のロバート・ジョンソンから、性的メタファーの例を少々見てみます。


例1)車
 誰がおれのテラプレインを運転した? おれがしばらくいない間に
 おまえのライトをつけたのに、おまえの警笛鳴りゃしない
 おまえのエンジンのふたを開け、オイルを調べてみなくては
 〜『テラプレイン・ブルーズ』


例2)蓄音機
 ベアトリスは蓄音機をもっているのに、音がちっとも出ないんだ
 長椅子の上でレコードをかけてみたり
 壁のそばでかけてみたりしたけれど
 おれの針はさびてしまい、役に立たなくなっている
 〜『蓄音機ブルーズ』


例3)小えび
 おれの小えびは死んでいる、おれの池では他人が魚釣り
 いちばんいいえさ使ったのに、もうそれもできないよ
 〜『死んだ小えびのブルーズ』


という具合。
「雨上がり」の元ネタは、恐らくこの「テラプレイン・ブルーズ」ではないかとふんでいる。
パクリじゃないです、これは。加工輸入です、加工輸入。
詞のパクリっていうのは難しいから、下手くそにやるとサマにならない。
清志郎のやり方は、見事と言うほかない。
見事なまでに日本語のロックになっている。
こうしたセクシャルなメタファーという手法を日本に輸入し、日本語ロックの言葉の幅を広げた、というだけで、その功績は大きいのだ。


真似するのが難しいのか、あまり定着はしてないようだけど、一度覚えたらこのやり方は便利であって、ネタに困ればいつでも使える。
「雨上がり」以外にも、同様の技で書かれた曲は、「スカイ・パイロット」、「DRIVE」、「ダンス・パーティ」、「HONEY PIE」等々、たくさんある。
ぼくの知る限りでは、これを意識的に受け継ごうと試みているのは奥田民生くらいだと思う。
例えばミニ・アルバム『Fail Box』の1曲目「カヌー」は、この手法で書かれた詞だ。


清志郎は、こうした性的メタファー以外にも、ダブルミーニングや言葉遊びもいろいろ試みているし、モチーフそのものを洋楽から拾ってきたりしたものも、恐らくたくさんある。
清志郎は、天性の詩人であるけれども、決してそれだけではなく、こうやって意識的に作詞のスキルを身につけてきているのであって、そこを見逃してはいけない。
ヒマだった時代は、1曲作るのに大学ノート1冊使ってたというエピソードもあるんである。