ついでに嫌煙問題


ぼく自身は喫煙者だけれども、すぐそばでタバコをぶかぶか吸われるのは非常に気分が悪いので、ここ数年の急速な分煙の徹底は、基本的にありがたい。
喫煙者ではあるけれども、どうもタバコは体質に合わないと見えて、吸うと明らかに調子が悪くなるので、もう何年も1日2〜3本くらいのペースでしか吸わない。
そんならもうやめればいいじゃないかと散々言われるけれども、吸いたいと思う気分は強いのであって、1本も吸うなと言われると、それはそれなりにきつい。
2〜3本ならいっそやめろ、と言われたら、2〜3本だから吸っても吸わなくても同じであって、特に無理してやめる必要はない、と答えるようにしている。
何より、この最近の嫌煙運動の急速な高まりに対する反発心もある。
こんなに吸うな吸うなと言われると、無理してでも吸い続けてやろうという気になってくる。
素直じゃなくてごめん。


前の職場での話。
8年前に赴任した当初は、まだ分煙は一切行われていなかった。
喫煙者は自分の席で吸い放題。いつでも吸えるのは便利だけれども、もともと2〜3本しか吸わないんだから、周りで吸われることの迷惑の方が大きい。1日2〜3本でも、喫煙者は喫煙者だから、席も他の喫煙者とまとめられたりする。特に2年目は、ヘビースモーカーの向かい側に座ることになり、辟易した。


分煙化の波は、赴任後3年目(今から6年前)に来た。
その後、急ピッチで進んでいく。


まずは、室内での分煙から始まる。
小さめの部屋にはビニールカーテンが設置されて、その間仕切りの内側でしか吸えないことになった。ただし、間仕切り内には非力な換気扇があるだけで、煙も臭いもかなり外側にもれる。
大きい部屋には、隅っこの天井に、数百万円の費用をかけて、排煙装置が設置された。その下でしか吸ってはいけない。しかしこれも、結局は同じ部屋の中で吸っているのであって、煙も臭いも完全に除去されるわけではない。対費用効果が非常に低い。
ぼくはこれらで十分だったけれども、それはぼくが喫煙者だからであって、タバコを吸わない人々には、これではまともに分煙されているとはとらえられず、上からの指示もあって、更なる対策が講じられることになる。


数百万円の投資も虚しく、3年前には、ついに全室内が禁煙となった。(排煙装置はそのまま放置)
唯一、敷地内の隅っこにある、用途のなくなったプレハブ1部屋が「喫煙室」としてあてがわれ、喫煙者は全員そこまで歩いて行かなければならなくなった。
歩くのが面倒なので、晴れた日は、玄関先や通用口から1歩外に出て吸っている職員も多い。(ただし、これは「みっともない」との理由で翌年に禁止される。まあ商売柄やむをえない)
喫煙者はみんな不満げだったけれども、ぼく自身は、1日2〜3本のことなので、それほどの不便は感じない。
高価な排煙装置がほんの1〜2年で無駄になったことには大きな疑問を感じたけれども、ここまでは理解の範囲内だし、室内ではタバコの臭いを不意にかがされることが一切なくなり、むしろすっきりした。


おいおいちょっと待てよ、と思ったのは、去年の4月。
ついに敷地内全面禁煙が実施されることになったときだ。


前年にプレハブ小屋に押し込められた時点で、分煙は完璧なものになったと思われた。
中庭等での喫煙も禁じられたのだから、もはや、喫煙者以外誰もそこに立ち入らない限り、敷地内でタバコの煙を目にすることはなくなっていた。
喫煙部屋から出てきた人がタバコ臭い、というのでなければ、もう文句のつけようはないと思っていた。
ところが、そのプレハブ小屋での喫煙も禁止して、敷地内では一切ダメだと言う。
意味が分からない。
これは、タバコを吸うなということか。


結果、喫煙者は、敷地から出た。
ちょっとだけ出た。
で、正門や裏門の周辺で、ヤンキー中学生みたいにたむろしてタバコを吸うようになった。
雨の日なんか、傘さしてタバコ吸ってる。
非常に見苦しい。
当然、近隣からの苦情も入ってくる。
出入りの業者なんかは、「たいへんですねー」と同情してくれる人もいるけれども、冷たい目で見る人も多い。
上は、これ以上しめつけると逆に「喫煙権」論者を刺激するとでも思ったのか、それとも、自分のやっていることの理不尽さを十分に理解しているからなのか、門の前でたむろして喫煙する職員に対して、強い指導をすることはなく、「近隣の目があるので控えてください」というコメントを出すばかりで、具体的な措置は何も講じなかった。
しかし、他所では、「敷地内は完全禁煙」「敷地を出たら職務放棄」ということで、完璧なタバコ封じを行っているところもあると聞く。
今年はどうなっていることやら……。


繰り返し言うけれども、ぼくは分煙はありがたい。
外食するときも新幹線に乗るときも、迷わず禁煙席を選ぶ。
喫煙者をプレハブ小屋に閉じこめた時点で、分煙は完璧になされているはずなのに、それさえも閉め出すという行為には、まるで根拠がない。
人前で堂々とタバコを吸わせろと言いたいのではない。
何故かタバコだけを目の敵にして、諸悪の根源であるかのように執拗に排除しようとする、その世の中の風潮が、非常に危なっかしいものに思えて仕方がない。


と、常々そのように思っているわけですが、ちょうど、ブログの世界でも著名人によるタバコ論争が勃発しているとの情報を、チンさんが流してくれました。
横浜国大の室井尚という情報学者の文章に、山形浩生がかみついてます。
ぼくがうだうだ書くより、こっち読んだ方がずっとスリリングで面白いです。


http://www.bekkoame.ne.jp/~hmuroi/kenen.html (室井)
http://cruel.org/other/smoking.html (山形反論)
http://tanshin.cocolog-nifty.com/tanshin/2005/10/post_1e9e.html(室井反論の反論)


すごく長いので読むの大変ですが、興味ある方は是非。
室井はスキがありすぎて、山形圧勝って感じですが、さらにこれに小○野敦が噛みついてて、そっちのが面白い。
小谷○敦の文章は、はてなダイアリーなので、関心があれば探してください。すぐ見つかります。
(○谷野敦を伏せ字にしてるのは、はてなで小○野の名を出したりリンク貼ったりすると、必ず本人がチェックする(笑)とチンさんにアドバイスされたからです。別にこれくらいなら読まれてもいいとは思うけど)


ともあれ、この論争を読めば、「タバコを吸うと肺ガンになる」という、もはや明白な「事実」として流布されていることですら、まだまだ議論の余地があることがわかります。
小○野が紹介しているこのページ(↓)
http://d.hatena.ne.jp/amai_oyatsu/20050929/p2
なんかも、なるほどなるほどって感じ。
ぼくとしては、山形論を読んでいるときは山形に、小○野を読んでいるときは小○野に同情的になってしまって、ほんと、結論出せないなあと思ってしまいますが。


もう少しだけ蛇足。
最近は、道路での歩きタバコを規制する自治体も増えてきているようだけれども、あれもありがたい。
外で、不意にタバコの煙を吸い込まされるのは気分が悪い。
ただ、それを言うなら、同じように、車やバイクの排気ガスだって腹が立つ。


ぼくは毎日自転車通勤だけれども、横を車やバイクが通過したとき、不意に排気ガスを胸いっぱい吸い込まされることがよくある。
特に、原付は自転車と路上におけるテリトリーを共有することが多いせいか、原付に対してむかっ腹を立てることが多い。
交差点で信号待ちしてるときなんかに目の前に原付が止まってて、ずっと息を止めていなければならないことも頻繁にある。
肺ガンの主因はタバコではなく排ガスだ、という主張も何かで見たことがある。
嫌煙権にこれだけ配慮するのであるならば、嫌排気ガス権についても認めてもらいたい。
いや、もっと言うなら、嫌○○権を主張したい事柄なんて、世の中に腐るほどある。
近所の公園で犬の綱を放して走り回らせている人がやたらといっぱいいるんだけど、犬嫌いの人だったら、犬嫌権(けんけんけん)を主張するかもしれない。


小○野の論点もだいたいそのようなところで、(いや、以前何かでちらっと読んだだけなんだけど。そういうツメの甘さがあるので、もし本人に読まれるとちょっと弱い)、要は、なんでそんなにタバコばっかり執拗に責めるの?と言いたい。
確かにタバコは悪いけど、そこまで悪いのか?と。
ファシズム」なんていうすごい言葉を使いたくなるのもよくわかる。


それを、「なんでオレばっかり叱るんだよ!」という悪ガキの屁理屈と捉えるのか、責めやすいところだけを責める悪質ないじめの構図と捉えるか、さて、そこはどんなもんでしょうか?