ついでに環境問題


そうだった、「環境ファシズム」という言葉があるんだった。
前々々回、前々回のを書いた後で、チンさんからメールをもらって、こんな(↓)本があるというのも教えていただいた。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163650806/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4413017838/


リサイクルは環境によくない、という話は、別のところでも何度かちらっと読んだことがあって、それを実証しようとしている学者も、数は少ないだろうけど、やっぱりいるらしい。


例えば、紙の業者に勤めている従兄から聞いた話。
近年、日本の製紙業界というのは、アジア産の安い紙にコスト面でまるで太刀打ち出来ず、完全に青息吐息らしい。
かろうじて生き延びているのは、再生紙の技術が進んでいて、それを、官公庁などが買ってくれるからなんだそうだ。
官公庁は、うちの県でもそうだけれども、環境への配慮だとか、ISO何とかかんとかだとかいうのを率先してやんなきゃならないし、営利目的の組織ではないから、多少コストがかかっても、再生紙を使ってくれる。
しかし、従兄の業者が関わっている範囲に限って言えば、民間企業で再生紙なんかを使っているところは、どこにもないらしい。
そりゃそうだ、高くて質の悪い再生紙をあえて使う理由など、私企業にはまるでない。


しかし、古紙のリサイクルが本当に環境にやさしいのかどうかというのは、ちょっと考えてみれば、まるっきりの素人にでも疑わしい。


ぼくが住んでいるところは、かなり早い段階からゴミのきめ細かい分別を実践してきていて、今ではほとんど毎日のようにゴミの収集がある。
ゴミを細かく分けることに、どの程度の実効性があるのかは知らない。
でも、かつてはせいぜい週2日だけだった収集が、週4〜5日になったということは、ゴミ収集車がかつての2〜2.5倍の頻度で市内をぐるぐる走り回っているということになる。
それはつまり、かつての2〜2.5倍の燃料を消費し、かつての2〜2.5倍の排ガスを排出しているということだろう。(いや、まあそれほど単純じゃないだろうけど)


さらに、再生紙というのは、たぶん、そう簡単にできるものではない。
再生紙工場は、いろんなエネルギー資源を使っているはずだし、何より、大量の水を使うらしい。


すると、トータルで考えて、果たして再生せずに燃やしてしまった場合と、再生紙にしてしまった場合とで、どっちが「環境にやさしい」のかというのは、はなはだ疑問に思えてくる。
生ゴミやなんかといっしょに全部集めて燃やし、新しい紙はゼロからまた別で作ることによって環境に与える負荷と、収集車を別系統で走らせて分別回収しエネルギー資源を消費して再生紙に作り直すことで生じる環境負荷、その比較考量。
もちろん、そんな比較計算というのがそう簡単にできるはずもなく、たとえ一部の学者が、「リサイクルするな」と主張したからといって、すぐに鵜呑みにするわけにはいかない。
しかし、まるで無反省に、再生紙を使っていればそれでOKという態度も、極めてあやしい。
要するに、そう簡単に結論は出せない。


少なくとも再生紙は森林を新たに伐採せずに済むだけでも意味があるんじゃないか、という意見もごもっとも。
しかし、官公庁がわざわざバカ高い再生紙の購入にコストをかけているのであれば、その費用を直接森林保護活動に使った方が効果が上がるんじゃないの?っていう気もする。
再生紙の購入をやめて浮いた費用で森林保護します! なんて理屈、とても通用しないだろうけど)


という具合で、紙のリサイクルひとつをとっても、非常に疑わしいのは素人でもわかる。
そして、素人だから、最終的にどうすりゃいいのかは結論出せないけれども、おそらくこれは、素人じゃなくてもそう簡単に結論は出せない。現に出てない。
そこがポイント。


ユ○クロの200円のTシャツは、環境負荷が大きい。1枚3000円の、フェアトレードオーガニックコットンは、環境にやさしい上、南北問題の解消にもつながる。だから、200円のTシャツはやめて、みなさん、オーガニックコットンを買いましょう!……って、問題はそこまで単純か?
割り箸使うのやめたら、アマゾンの熱帯雨林は、ほんとに救われんのか?
て言うか、極端な話、熱帯雨林の減少は別に大した問題じゃないって言ってる人もいるわけでしょ。


もちろん、明らかな環境破壊と断定できるようなケースもあるだろう、そりゃ。
でも、いわゆる環境保護活動の中には、少し考えれば、思わず茶々を入れてみたくなるようなものがあまりにたくさんある。


要するに、リサイクルの是非ひとつとっても、考え直すべき点はまだまだたくさんある。
そういうことを全く考えもしないで、やれストーブを消せだの割り箸を使えだのと、まるで他人を悪者扱いして、極めて幼稚な「正義」を振りかざす、そういう態度が気に入らないんです。
前々々回、前々回の悪口には、そういう気分も含まれてます。
NHKスペシャルか何か見てすぐその気になって、次の日からは他人にまで割り箸の害を喧伝して回ったりするのって、ナチスプロパガンダに乗せられてヒトラー支持になるのと同じ……にしちゃあ怒られるのかもしれないけど、でも構造は同じでしょ。


じゃあお前はどうなんだ、どういう態度で暮らしてるんだ、と言われると、非常に弱いですけれども(笑)、ひと言で言うならば、「地球環境」のことなんて、わからないわけです。
結論出せない。
だから、紙を処分するときも、割り箸使うときも、「地球環境」のことなんて考えられません。て言うか、考えないようにしてます。
割り箸から地球環境を「実感」するのなんて、そもそも無理だと思うんだけれども、どうなんでしょう。
て言うか、そもそも、地球環境を考えるような器が、ひとりの人間にあるんでしょうかって気もします。


断っておきますけども、ぼくは、ゴミの分別は、かなり真面目にやってます。(前にこのページにも書いた気がする)
紙だって、ホッチキスで綴じてあるものはちゃんとはずします。
ペットボトルのラベルだって、ひっぺがします。(これ、ペットのリサイクル表示が確認できなくなるからかえって迷惑っていう話もあるそうで、それ聞いてから、躊躇するようになったけど)
それが地球環境のためによいかどうかはわからないけれども、そういうルールになってしまっている以上、そうしないと、ゴミ収集のおじさんとかにも迷惑がかかるだろうと思うからです。
意味あんのかなあ、と思いながらも、やれと言われるからやる、と。
可燃ゴミにも、たまには大量の紙くずなんかが入ってた方が燃焼温度が上がってダイオキシンとかの発生が軽減されるんじゃないか……なんていう考えがよぎったりすることもあるけれども、分けろということなので、分けてます。


まあ、なるべく紙を無駄に使わないようにすべき、というのは、数少ない確かに言えることの一つだろうと思いますから、そうしてますよ。
再生紙であろうが何であろうが、使わなくてもいいものは使わない、まだ使えるものはなるべく捨てない。
官公庁なんか、再生紙買うよりも、無駄な書類を減らすこと考えた方が、余程環境にやさしいんじゃないか?
ペーパーレス化をもっと真剣に考えれば?
しばらく前だけど、文書をB版からA版に替えたのって、あれ、ダメなんじゃないの?


うちの死んだばあちゃんは、早くにダンナを亡くして女手ひとつで戦中戦後に4人の子どもを育てたので、恐らく苦労したと見えて、とにかく「もったいない、もったいない」が口癖だった。
豆腐にかけた醤油が最後に小皿に残っていると、もったいないと言って叱られたし、何より見てて嫌だったのは、鼻をかんだティッシュをもう一度懐に戻す習慣だ。あれでもう1回かむのかなあと思うと、おぞましい気分になったもんです。
ストーブはおろか、テレビも、部屋の電灯でさえも、蛍光管が2本ついてりゃ1本は消す。
そういう人に育てられたせいか、うちの親父にも「もったいない」がかなり遺伝してて、親父にもずいぶんと理不尽な「もったいない」を言われ続けてきた気がする。(そのくせ、くだらない浪費はたくんさんするから、理路はまるで通っていない)


だから、知らず知らず、ぼくの中にも「もったいない」の血が流れているようで、ケチケチしてるようで恥ずかしいけれども、見えないところでは割と節約する質なんです、これでも。
「地球環境のため」とか言われると、皮肉のひとつでも言ってやりたくなるんだけれども、「もったいないじゃないか」と言われる分には、ぼくはまるで腹が立ちませんです。