月の兎


出かけたついでに実家に立ち寄ったところ、じいさんもばあさんもそれぞれが、今日は観月会だの薪能だのと言っている。
中秋の名月らしい。
それを聞いたせいか、帰り道に小1の息子が、お月見をやりたいと言い出した。


お月見なんてちゃんとわかって言ってんのかどうか疑わしかったが、台の上に団子を盛って、ススキを飾って……というようなイメージは一応持っているらしい。
ただし、「ススキ」は出てこなかったようで、「麦を取りに行こう」などと言っている。


大工志望の息子にとっては、あの団子を載せる台(あれ、何ていうんだっけ。あの風呂屋のいすみたいの)がまず最重要らしく、「木を買いに行こう」とうるさい。作るつもりらしい。
家に帰っても、すぐベランダに放り出してあったベニヤ板とノコギリを持ち出してきて、台を作るなどと言っている。
しつこいので、ラジカセの置き台にしてあった、似たような形状のものを引きずり出して、雑巾がけさせる。


団子は既に嫁が白玉粉をこね始めている。
息子は常に全身から野良犬のような匂いがするので、念入りに石けんで手を洗わせてから、団子を丸めさせる。
無論、2歳の娘も一緒になって、団子を丸め始める。
異常な量の団子があっという間に完成した。
ビー玉くらいのサイズのもあれば、ピンポン球より大きいのもある。


あとはススキだ。
もう日が暮れかけているけれども、息子が「麦!麦!」とうるさいので、取りに出かける。
息子が行くとなると、娘も行かずにはおさまらない。
もう既にビールを1本空けていたけれども、自転車の前と後ろに子どもを積んで、近くの河原まで走る。


涼しくて、自転車で走るのは気持ちいいのだけれども、肝心のススキが見当たらない。
川沿いに、あちこちをしばらくうろうろするけれども、1本もない。
冷静に考えると、ススキって、こんな時期にあったっけか?という気がしてきた。もっと寒くなってからのようにも思う。
でも、世間一般では今日が中秋の名月なわけで、本来、ススキがないといけないような気もする。
地球温暖化のせいで、ススキの時期もずれてきたのだろうか。
そう言えば、昼間はまだ蝉が鳴いていた。


もう見つかる気がしなかったけれども、サイクリングが楽しかったのでしばらく走り続けるうちに、とうとう完全に日が暮れた。
川っぺりは街灯もなくて、危なっかしくなってきたので、結局最後は、猫じゃらしや、何となくススキ風の形状の雑草を適当にむしり取って帰ることにする。
息子も、「これでいいや」とか何とか言って、出鱈目にむしっている。


帰りに橋を渡るとき、東の空の方を指して、息子が「あ、花火!」と叫んだ。
見ると、確かに遠くの空に丸い花火が一瞬ちらっと見えて、すぐに民家の陰で見えなくなった。
こんな季節にまだどこかで花火大会をやってるんだろうかと怪訝に思いながらも、橋を渡りきって坂を下ったところで、また同じものが見える。
よく見ると、それは花火ではなくて、真っ赤な満月だった。
さっきはちらっと一瞬見えただけだったし、まだ出たばっかりでうすぼんやりしてるけれども大きく見えてて、なおかつ異常なまでに赤いので、花火に見えたのだと思う。
不気味なほどに赤い。
赤い月は地震の前兆だという話を聞いたことがあったので、「地震がおきるかもしれない」と言うと、息子は「なんで?なんで?」としつこかったが、面倒だったので無視する。


家に帰ると、すっかり団子が茹で上がって、きな粉とあんこと砂糖醤油も用意されていた。
普段は何もしない子どもたちが、いそいそと座卓をベランダへ運び、食卓をセッティングする。
ススキもどきの雑草群も、花瓶に入れると何となくそれっぽくなった。
最終的には、団子が主食で、他にはサラダや炒め物が2〜3品、しかも狭いベランダで1列に並んで座るという、よくわからない状態になっている。
こういうのをお月見と呼んでいいのかどうかよくわからないけれども、いちばん問題なのは、座った状態では月が見えないことだろう。
ベランダは南向きだけれども、月は東に出ている。しかもまだ位置が低い。
ともあれ、涼しくて気持ちいいので、焼酎をソーダで割って、どしどし飲んだ。
子どもたちは、異常なスピードで団子のみを食い続けている。
山のようにあった団子のほとんどが消費された。
息子はきな粉の皿を舐め、娘はあんこを指ですくい取っている。


ひととおり食事らしきものが終わり、子どもたちが部屋の中へ戻って遊び始めた頃に、月がちょうどいい位置に来た。
雲ひとつなく、ほんとにいいお月様で、山に登ってログハウスで月見酒のじいさんや、海で薪能を観ているばあさんが羨ましくなってくる。
あまりに綺麗に見えるので、もう一度息子をベランダに呼び、月をよく見せる。


月の中に模様が見えるだろう、何の形に見える?と聞いてみると、「うさぎ」だと言う。
おお、やっぱり子どもが見てもほんとにウサギに見えるのか、と感心していると、息子が付け足して、「ウサギが餅を搗いてる」などとつまらないことを言う。
もっと子どもらしい純真な視線で捉えた月の模様の描写を期待していたのに、恐らく、自分自身の目で実際に凝視してみる前に、知識として与えられてしまったに違いない。
こいつは先入観なしに月の模様について思いを巡らせる機会を奪われている、と思うと、あまりいい気がしなかった。
それどころか、さらに得意そうに「ヨーロッパではカニに見えるらしい」とか何とか言っている。
誓って言うけれども、息子は「ヨーロッパ」が何なのかを正確に理解していない。


本来は誉めるべきところなのかもしれないけれども、なんとなく憎たらしかったので、「ふーん」と言ってすませた。