抜弁天、ホテル、蕎麦


昨日今日と、この1ヶ月で4回目の東京出張。
さすがに飽きてきたし、薫ちゃんは福岡に転勤してしまっていたので、もう今回は夜もホテルで大人しくしてようかと思ったのだけれども、直前になって、やっぱりチンさんと飲むことに。
ちょっと会社見学をさせてもらってから、抜弁天の居酒屋へ。
チンさんは食いしん坊なので、美味しい店をたくさんたくさん知っていて、毎度毎度違うところへ連れて行ってくれる。今回の店も、非常に素晴らしい。何を注文しても美味い。
ぼくは嫁や家族に、食べ物にうるさい、とか、注文が多い、とかよく言われるけれども、もしほんとにそうだとしたら、それはチンさんに美味しいものをたくさん与えられたことが原因としか考えられない。


延々5時間、尿酸値のことも意図的に忘れて、主に「何故"ゆず"が嫌いなのか」ということについて話す。
後で反芻していたら、このテーマに、内田樹がブログで書いていた「音韻がもつ現実変成力」という論点を持ち込むのをすっかり忘れていて、残念な気持ちになった。
チンさん、そんなわけで、どうもご馳走様でした。いつもいつもすいません。堪能しましたです。ゆず問題について言い損ねたのは、要するに、ひと言で言いますと、"ゆずの声はエルビスブルース・リーのような現実変成力に欠けるからではないか"と、そういうことでございます。


チンさんと飲んでいるとき、真夜中近くになって携帯にロッコから電話が入る。
ロッコは仕事でいっしょに東京に来ているのだけれども、他県の外人達と赤坂あたりで飲んでいるはずだ。
聞けば、道に迷ってホテルに帰れなくなったと言う。しかもホテルの名前も忘れてしまっている。
すでにタクシーをつかまえているらしく、我々の滞在ホテルの名前を伝えさせるが、どうにも伝わらない様子。
「すいません、運転手さんに説明してもらえませんか」などと言うので、ロッコから電話を渡された運ちゃんに、場所を説明する。
今朝になって、何やってたんだと問いただすと、「I was too happy.」とか言っている。
ロッコの言う happy というのは、drunk という意味である。
しかし、too happy であっても、早稲田の体育会で鍛えられた経験のあるロッコは敬語が身に染みついていて、昨夜の電話も、第一声はちゃんと「お楽しみのところ申し訳ありません」から入った。


今日は朝から研修。
朝はホテルのバイキングで、昼は近くの蕎麦屋に入る。
ぼくはもともと饂飩よりも蕎麦の方が好きなので、東京に来ると、なるべく蕎麦を食べるようにしている。
東京は、至るところに蕎麦屋があって、しかも美味しい店がとても多い。
混んでいて相席だったのだけれども、前に座っていた初老のおじさんは、もりそばだけをぺろっと1枚食べて、そば湯をぐーっと飲んで、すぐに出て行った。
そのあとに来たスーツ姿の老人は、実に上品に「失礼いたします」と言って席につき、やはりもりそばを注文した。
こういう蕎麦屋が職場の近くにあると嬉しいんだけれども。