RCサクセション研究室? その3?


今日は、前回分への k-taro からのコメントについてレスします。


> 僕は単純なコードしか未だにわからないのですが「すばらしい日々」と「雪の降る町」を耳コピーしてギターで鳴らせたときの快感たらないっすね!この感覚はビートルズやジョンレノンの時の悦びに似ていますが、単純なメジャーとマイナーなのに、順列が変なだけでこんなに気持ちいいなんて


とういうのは非常に当を得た感想だと思います。


まずは言葉を整理しましょう。
「単純なコード」というのは、今日のところは、例えば C7 とか Am とか、和音の構成自体がシンプルなもの、ということにします。
一方、「複雑なコード」というのは、例えば D7(♭9♭13) とか Gmaj7(9♯11) とかいったような、最低でも4声以上の構成音から成るややこしい響きを持つもの、ということにしましょう。ちなみに、ジャズのプレーヤーなんかは、まず3声の和音なんて使いません。


で、k-taro の指摘どおり、民生は、決して「複雑なコード」を多用してるわけではないわけです。
ひとつひとつのコードは「単純なコード」が多いのであって、ロックですから、そんなテンション・ノートがびしびし響いててはいけません。
その組み合わせが問題なわけです。
つまり、ひとつひとつのコードは単純でも、その順列組み合わせは、「単純なコード進行」と「複雑なコード進行」がある、と。とりあえずこういう風に分類してみましょう(実際にはそんな簡単な話じゃないけど)。


ここでは、「単純なコード進行」というのを、「古典的な西洋の音楽理論に忠実な」、「自然な」進行、というふうに、勝手に定義してみます。
つまり、Ⅰ、Ⅳ、Ⅴの3コードに、Ⅱm、Ⅲm、Ⅵm、Ⅶm といった、まあ言わば「当たり前な」コードばかりで構成されている進行です。
逆に、「複雑なコード進行」とは、言い方を換えれば、古典的な理論から言えば「でたらめな」進行のことになります。
例えば、本来ハ長調の曲に♯や♭はついてはいけないはずですけども、いまどきそんなこと言ってたら、まあろくな曲は作れませんわね。


と言うか、そもそも、ブルースという音楽は、Ⅰ7、Ⅳ7、Ⅴ7 という3つのコードでできた音楽で、Ⅰ(トニックコード)に 7th がくっついてます。こういうの、トニックセブンスって言いますけど、これ、ハ長調でやると、7thはシの♭になりますね。つまり、トニックコードそのものが、古典的な理論ではルール違反になってしまうわけです。
7th っちゅうのは(ハ長調ではシ♭)、ほんとはマイナーセブンスと言うのであって、これは本来「短調」の音です。長調の方はメジャーセブンス(ハ長調ではシ)です。
と言うことは、トニックセブンスって、ドミソという長調の和音に短調のマイナーセブンスが乗っかってるっていう、長調だか短調だかよくわからないコードなんですね、これ。だからブルースは、それまでの西洋の文脈では、あってはいけないでたらめな音楽なんです。


ちなみに、本物の「ブルーノート」というのは、このマイナーセブンスとメジャーセブンスの中間くらいの音なんだそうです。
ピアノだと「中間の音」なんて出せませんけど、ギターや管やハーモニカは出せますね。マイルスも、7度の音を吹くときは、マイナーとメジャーの間で揺れるらしいです。それが本来のブラックネスですな。
これについて書き始めると、どんどん横道に行ってしまうので、もうやめときますけど。
詳しくは、三井徹とかの本を読むといいです。


えーと、こんなことを書くつもりではなかったです。
何の話だっけか。


そう、民生。
民生のルーツがビートルズであるのは、間違いないです。特にポールでしょう。


さっきの文脈に戻りますと、ビートルズは、当たり前な理論から、意識的・無意識的にどんどん逸脱する方向へ進化したわけです。
田村和紀夫著「ビートルズ音楽論」という労作がありまして、これを読みますと、かなり意識的に逸脱の仕方をひとつひとつ「発見」していったことがわかります。
ごく初期はビートルズもまあ前人達の成果に則って、ブルースやロックンロールをベースにした3コードなんかを演奏してたわけですけども、彼らはそこから出発してさらに先へ行くわけです。
例えば「I saw her standing there」なんかだと、サビの「♪How could I dance with another 〜 ふ〜」ってポールが歌ってる、その「ふ〜」のとこの響きが気持ちいいでしょ。
あれ、逸脱してるからですね。あそこはⅥ♭です。この、トニックの長3度下というパターンは、それまでのブルースやロックンロールはおろか、ポップスでもあまり使われてなかったコードだそうです。


逸脱してる、っていう言い方はまずい、か。
要するに、「新鮮」なわけです。当たり前じゃないから。
そういう「逸脱した」「新鮮」な響きを、ビートルズは自分たちの新しい文法としてどんどん見つけていくわけです。
前掲書によりますと、この「逸脱した」「新鮮な」コード発見の旅を、意識的に始めたのはジョンの方で、それをよく理解し、圧倒的な応用力を見せたのがポールなんですね。
だから、初期のビートルズは明らかにジョンのバンド。中期〜後期になるとポールが才能を爆発させます。


民生は、その、中〜後期のビートルズをかなり勉強したと見られます。
当たり前な進行の中にルール違反のコードを持ってきて「新鮮に」気持ちよく響かせる、そういう「新しいルール」をビートルズはどんどんロックに持ち込んでスタンダード化していったわけですけども、そうしたビートルズの「新しいルール」を、民生はかなり深いところまで理解したんじゃないでしょうか。


だから、k-taro の感触は正しいです。
確かに、耳でコピーしてて、「ああ、ここかあ」っていうの見つけると、気持ちいいよな。
それ、せっかくコピーしたら、気持ちいいなあって思ってるだけじゃなくて、そういう「もってき方」を体にしみこませていくといいんだわ、きっと。新しい発見の、特に気持ちいい部分を。
民生はたぶんそうやってビートルズをコピーしながら、作曲技術をどんどん進化させていったんだと思います。


ちっともRC研究室じゃなくなってきたけど、ついでにもう少し、近年の民生について。


近年の民生は、今日の言い方で言うならば、それほど「複雑なコード進行」を作らなくなってきてますわね。
それでも、やっぱり決して単純な曲には聞こえない。
最近ぼくは、このへんのからくりにむしろ興味があるわけです。


例えば、おんなじように当たり前のコードで当たり前に進行する曲でも、実に単純に聞こえる曲と、深い響きを感じる曲があります。
わが最愛のフェアグラウンド・アトラクションとかだって、コードは実にシンプルで、進行もごくごく当たり前の曲がほとんどなんだけど、非常に味わい深い響きがある。
それはなぜなんだろうかと思うわけです。
ブルーハーツ175Rは、コードも単純、進行も単純、響きも単純で、メロディを譜面にするとほとんど童謡のようです。(でも、ブルーハーツはなんとなく許せて、175Rは全然だめなんだよな。そのへんはまた別問題だけど)
で、フェアグラウンド・アトラクションだって、コード進行はそういうのと何も変わらなかったりするわけね。
それなのに、非常に深い響きを感じるのはいったいなぜか、と。


単に演奏の上手い下手だけじゃなくて、どうもメロディ・ラインやギターのフレージングに謎がありそうだから、そういうのをちゃんと譜面に起こして研究したりなんかすると、おもしろいことがわかってくるんじゃないかと思うんだけど、そんなめんどくさいことする気力もないし、そもそも知識がないです、ぼくには。
誰かやってくんないかな、そういうこと。


ひとつだけ具体例。
民生が曲を作り込まなくなってきました第1弾ヒットシングル「イージュー☆ライダー」。
あの曲、コード進行、実に当たり前ですね。
ビートルズ以前に逆戻りってくらいの。
でも、あれ、すげえいい曲よね。
念のためちょっと今ギターでコード確認してみます。


……えーと、キーはわかりませんが、サビの最後んとこ、「♪きっとそういうことなんだろ〜」っていう、「ろ〜」のところの響きが新鮮。
でも、コードはごく普通のⅥmですね、たぶん、これ。
最後をトニックに戻って解決するんじゃなくてマイナーに落とすっちゅうのは、日本でも昔ながらの常套句パターンですね。70年代のフォークなんかで流行ったパターン。
それと全く同じなのに、民生がやると気持ちいいっちゅうのはなぜかっていうと、これ、コードはただのⅥmだけど、メロの「ろ〜」のところはナインスなんだよね。
この曲の場合、当たり前のコードなんだけど、メロでひねってある。
おそらくそれが秘訣になってんじゃないかと思うんだけど、どうでしょう。


だから、この曲、きっと9th の感覚が身についてない人なんかだと、カラオケでも歌うの難しいんじゃないでしょうか。音程あわせんのが。


「複雑なコード進行」の快感を誰よりもよく知ってる人が、いくら演奏するときの論理を優先して単純な進行にベクトルを移したとしても、ほんとに単純な曲ではもはや楽しめないはずです。
どこかひねってないと、恥ずかしい感じがするものですし、だいいちやってて気持ちよくないはず。
だから、最近の民生の曲作りというのは、ほんとに職人芸ですな。
微妙なバランスのところで、実にうまく作ってある。
「イージュー☆ライダー」の「ろ〜」だって、たぶんもう今までの蓄積で、無意識にああいうメロにいっちゃうんだと思います。


でも、やっぱり、いちリスナーとしては、「雪が降る町」や「すばらしい日々」とかの方が、聴いてて嬉しいんだけど。
あ、そうだ、「雪の……」じゃなくて「雪が……」だったようです。
訂正いたします。