事故と宴会


JR西日本の事故の日に職員が予定どおり宴会やってたっていうんで、メディアにえらいこと叩かれている。


それに対して、小田嶋隆が今日のブログで同情的に書いている。
http://takoashi.air-nifty.com/diary/
一方、その中にもリンク貼ってある勝谷誠彦のブログは、逆にJR西を鬼畜のようにくそみそに書いている。
http://www.diary.ne.jp/user/31174/
勝谷誠彦って、こんなどぎつい人だったの?


まあこの2者は両極端だと思うけれども、個人的にはどちらかと言うと、かなり小田嶋寄りだ。


自分のこととして、具体的に想像してみる。
同じ職場で働く同僚が、世間に申し開きの出来ないような巨大な事故を起こして多数の犠牲者を出した、というのは、どういう状況か。
そして、偶然にもその事故に直接的には関わらずに済んでしまったその日の夜、前々から宴会が予定されていたら、どう振る舞うのか。


えらいことになってしまった、という不安や恐怖が当然ある。
同時に、自分が直接の責任を問われる立場でなくてよかった、という屈折した安堵もある。
おれのせいじゃない、でも、世間からさんざん追求されることになるだろうという怖さからは逃れられないし、何より、自分の会社はこれからどうなってしまうのか、おれのこの先は大丈夫なのか、という不安は激しく強いだろう。
何にしても、いろんなことが心配で、どうしていいか判断しかね、少なくとも家で落ち着いて飯食って寝てられるような心境では絶対にないはずだ。


そんなときに、自分と同じ立場にある同僚達と集まる予定が偶然にもあったら、どうなのか。
ぼくだったら、やっぱりちょっと行ってみたいと思う。
他の人がどのように振る舞おうとしているのか、どんな風に事故を受け止めているのか、会って話して、確かめてみたい気がする。
もしかすると、明日の朝にはメディアの連中が自分にも群がってきて、マイクを向けられたりするかもしれない。
そしたらどうすりゃいいの?とか、同僚に会って聞いてみたい気がする。


勝谷のブログによると、宴会施設側はJR側に自重を提案したが、JRは「構わないからやります」と言った、とある。
「構わないから……」というのは、ちょっと哀しげなニュアンスだと思うんだけれども、実際のところはどうだったんだろう。
みんな、うひょーとか言いながらボーリングやって楽しんで、飲んで騒いで心底楽しく過ごしたんだろうか?(それだったら、確かに畜生だな)
それとも、ボーリングはただの口実で、みんなが内に大きな不安を抱えながら、それぞれ互いの様子を探りつつ、今後のことについてひっそり語り合ったのだろうか?
いや、実際はその中間くらいか、まあやや後者寄りってところじゃないんだろうか?
救助活動が続いてるのは知ってたはずなのに、現場に向かおうともしなかったってことは、やっぱりほんとに「まあ、だいじょぶっしょ」みたいなノリだったんだろうか?
それとも、一部のそういうノリの人に、多数の不安な人たちが、ただなんとなく引っ張られてしまったんだろうか。
お役所なんかは特に、自分の直接の担当でさえなければ、おれ知らんもんね的な態度が自然に取れてしまう人が実にたくさんいるのを最近知ったけれども(笑)、JRにも、あんな大事故ですら、「担当者が不在なもので……」ですっきり忘れていられる人がそんなに多いんだろうか。


結局、そのへんの微妙なニュアンスはその場にいた者にしかわからない。
わからないことを憶測で言っちゃいけない、なんて言い出すと何も言えなくなるけど、「畜生」とまで言うのもちょっとひどいやね。
あの事故で肉親を亡くした、なんていうんだったらまあしょうがないと思うけど。