学力低下(3)


内田樹が『街場の現代思想』の中で、自身のゼミの学生が書いた卒論の様子について、次のようなことを書いている。


“近年の若い人の際だった特徴は、「特定ジャンル」への関心の集中である。それが文学であれ、映画であれ、音楽であれ、マンガであれ、興味のあるジャンルについては異常に詳しく、隣接するジャンルについてはしばしば何も知らない。”
“ここに前景化している問題は「最近の若い人は文学を読まない」ことではない。みんなかなり集中的に読んでいる。ただし、そこで得られた情報や知見を「共有する次元」がない”
“彼女たちに欠けているのは「知識」ではない。欠けているのは、「自分の持っている知識」は、「どのような知識であり、どのような知識でないか」についての認識、自分自身の「知っていること」と「知らないこと」をざっと一望俯瞰するような視点、ひとことで言えば、「自分の知識についての知識」なのである。”


また、別の著書(たぶん『「おじさん」的思考』だったと思うけど、確認するのが面倒)では、自分の位置を「マッピング」する能力の欠如、みたいな言い方もしていたと思う(記憶違いの可能性も大です)。
要するに、全体の中で自分が今どのような位置にいて、周囲に自分の知らない世界がどれくらい広がっているのかという認識がない、それはとりもなおさず「教養」がないということなのだ、と。


これは、いまどきの若い衆を考えるに当たって、最も肝要なポイントではないかと思う。


『街場の……』には、同じ事を、図書館の比喩で説明した箇所があって、とても秀逸な比喩なので、長いけどまた引用します。


“絵画的な比喩を使って言えば、「教養」とは、「古今東西全ての知識」を網羅した巨大な図書館があった場合、自分の持っている知識や情報が、その巨大な図書館の、どの棟の、どの階の、どの書棚の、どんな分類項目名をつけられて、どんな本と並んでおいてあるのかを想像することのできる能力のことである。……私が「これから読む本」とは、「まだ読んだことがない本」のことである。図書館の利用のノウハウとは、ただ一つ「私がまだ読んだことがない本について、それがどこにあるのか、何の役に立つのかを知っている」ということである。……「教養」とは、「自分が何を知らないかについて知っている」、すなわち「自分の無知についての知識」のことなのである。”


全体をとらえる視点がない、だから自分の位置をマッピングできない、自分に何が見えてないのかが見えていない。いまどきの若い衆の特徴は、突き詰めれば、全てこの「マッピング能力の欠如」に集約できるんじゃないだろうか。


全体をとらえられない、というのは、空間的には、俯瞰的、鳥瞰的な視点を持ち合わせていないということであり、時間的には、歴史的な視点が欠落している、ということだ。俯瞰図がなく、歴史もないということは、たまたま視界に入ってきた身近な世界の中だけで、場当たり的に、永遠に続く「現在」に鼻面を引き回されて生きる、ということにはならないんだろうか。
粗雑な物言いになるけれども、村上春樹で卒論書いた学生と三島由紀夫で書いた学生の間で文学の話が成立しないのも、電車の中でアホみたいにはしゃいだり馬鹿でかい声で携帯でしゃべったりするのも、まるで先の展望のなさそうなフリーターみたいのがゴマンといるのも、もしかするとマッピング能力の欠如が原因なのかもしれない。


先日、高校2年生女子数人と話をしていたら、「緻密」という言葉が通じなかったので、思わず「え?‘緻密’も知らないの?」と言うと、「そんな言葉使う?」「使わなーい」「使わないよねー」「だよねー」と、まるでそんな言葉を使ってしまったこちらが悪いようなことにされてしまった。こういう経験は、もはや日常茶飯事だ。
自分たちの共有している語彙が全てで、その外側にどれくらい広大な語彙が広がっているのか、という認識が、彼女たちにはない。おおよそでも、全体がどれくらいあるのかという意識があれば、いや、せめて全体はどれくらいなんだろうという想いだけでもあれば、自分のテリトリーの狭さやその限界に気づく契機が発生すると思う。しかし、それがなければ、自分たちの持ち合わせていない知識は、自分たちとは「関係のない」知識にしかなり得ない。「緻密」という言葉は、「自分はまだ知らないけれども、いつか知るべき何か」ではなく、「偶然ぶつかってきた得体の知れない異物」にしかなり得ない。それは、電車で隣り合わせたオヤジが、同じ世界を共有する大きな関係性の中に組み込まれた存在などでは決してなく、あくまでもうっとおしいだけの異物でしかない、というのと同じ構造であるように思える。「なぜ人を殺してはいけないんですか」なんていけしゃあしゃあと得意顔で言うようなバカタレは、決して倫理や道徳が欠如しているわけではなく、そうした問いがいかにセンスの悪い問いかということがまるで見えていないだけのように感じられる。


で、学力低下の問題も、そうしたマッピング能力の欠如と結構関係あるんじゃないか、ということを書こうと思ったんだけれども、もう眠くてワケがわからなくなってきたので、また明日にします。


(つづく)