学力低下(2)


今日は、一昨日の日記で磯崎兄さんからいただいた、


『いまでも「英語はまず単語」みたいな感じなの? 伊藤和夫の功績とか、どうなってるの?「単語の意味なんてどうでもいいから、まずは構文(構造)を読み取れ!」みたいな。』


というコメントについて、学力低下の問題と絡めながらお返事させて頂きます。


兄さんに言われて気づきましたが、そう言えば伊藤和夫の「英文解釈教室」とか、本人はもう亡くなっていますが、本は改訂されて今でも書店に並んでいるにもかかわらず、あれを持ってる受験生というのは、あまり見かけなくなった気がします。
英語学習において重要なのは、反復か、それとも論理か、と言われれば、それは「どちらも重要」というのが正しい答えであるに決まっていますけれども、どちらかを選べと言われれば、個人的には「論理」を取ると思います。「英文解釈教室」は、やはり高校生には是非とも薦めたい良書だと思っています。


しかし、時代の趨勢は「反復」です。
何せ、高校の英語のカリキュラムには、もう数年も前から、「文法」がありません。英語の中に存在する科目は、英語Ⅰ・Ⅱ、オーラルコミュニケーション、リーディング、ライティングです。現在、検定教科書に「英文法」の教科書はないんです。
これは、新カリキュラムに移行する前の、いわゆる「コミュニカティブ路線」からの流れです。新カリ移行後は、その流れがさらに強くなった印象です。


中学校の現場はよく知りませんが、進学校に入学してくるようなレベルの生徒たちにとっては、今の中学英語は、「めちゃくちゃ簡単」なんだそうです。ゆっくりゆっくりと教科書を進め、キーフレーズなどを何度も反復して覚えたりするような活動が多いとのこと。基本的なフレーズを覚え、反復する学習活動が主体のようで、あんまり頭使わなくてよさそうな感じ。入試対策は、みんな家や塾でやってます。
もちろん新カリ以降は、内容も薄くなってます。中学3年間で必要とされる語彙数は、約900語(かつては千数百語だったと思います。不確かな記憶ですが……)。関係代名詞も完了時制も、付加疑問文すらも知らずに高校に入学します。

ちょっと話が逸れますけれども、そういうふうですから、現在は、高校にたいへんなしわ寄せが来てるのが現実です。高1の英語力は、10年前、20年前に比べると格段に低くなっていますが、大学入試はほとんど何も変わってません。結局、中学校で楽した分、高校で苦労してるだけなんです。
いや、現実には、大学入試問題だって昔に比べれば簡単にはなってます。東大や京大の2次試験も、かつてに比べれば、ずっと素直な問題です。ゆとり教育の世代に合わせて、大学も一応は手加減してるとは思います。
しかし、例えば、今後は大学入試では仮定法は出題しない、とか、完了不定詞は扱わない、とか、そういうことにでもなればそりゃあ高校の負担も減りますが、そんなわけはないのであって、出題レベルが多少下がったところで、高校3年間でやらなければならないことはほとんど何も変わらないわけです。そういう事情は他教科だって同じでしょう。
だから、今の生徒たちは、中学校では、ほとんど頭使わなくていいような反復反復の練習ばっかりやって、英語の文法体系なんていう概念そのものを持っていないような状態で高校へ入ってきて、入学したとたんにいきなり分厚い文法参考書を持たされ、週休2日の、かつてよりも少ない授業数の中で、かつてと同じだけの分量を詰め込まれるんです。
つまり、「コミュニカティブ路線」は、中学校〜高校〜大学と、ちゃんとつながってないんですね。少なくとも大学受験に向けては、コミュニカティブなんてやってられない。ほとんどの進学校は、オーラルコミュニケーションをかつてのグラマーの時間に読み替えて文法をやってるはずです。そうでないと、受験対応なんてできません。中学〜高校の間に、既に大きな断絶があるんです。
それに加えて、新カリ生からは、センター試験にリスニングがいよいよ導入されます。ただでさえ圧倒的に時間が足りない中で、更にリスニング対策までしなければならなくなりました。
要するに、文科省の理念は、現場の実態に全く則してない。それはもう、大学受験が抜本的に変わらない限り、いつまで経っても建て前と本音が交わることなく平行に進むだけだと思います。


新カリキュラム以降の生徒の特徴は、文法をひとつの論理体系として認識しようという姿勢がまるでないことです。英文を、なんとなく雰囲気で読んでる。これが主語で、これが述語動詞で、ここからは副詞句だからこれを修飾して……といったような考え方をできない生徒が非常に多いんです。高校に入って、「英文法」の体系に目覚めて行けばいいんですけど、それが出来ずに、いつまでたっても中学式の、反復と暗記で乗り切ろうとする姿勢から抜け出せないパターンがあまりに多い。だから、長文を読ませても、「単語がわからないから読む気がしない」という声がすごく目立つんです。
あと、顕著な現象としては、休み時間や放課後に質問にくる生徒が、見事にいなくなりました。ここ数年の現象です。
つまり、何を聞いていいのかすらわからない、と言うか、英文を論理で読み解くという発想がまず育ってないから、彼らにとっての問題は、訳文を手に入れているかいないかということだけであって、この英文が何故このような意味になるのか、といったことには関心がいかないんですね。
かつては、関係代名詞と関係副詞の使い分けはどういう仕組みになんてるんだ?とか、この不定詞はどういう働きをしてるんだ?とか、そうした「論理的な」質問がよくありました。それがパタッとなくなった。


個人的な持論としましては、反復だけで英語を身につけられるのは、帰国子女だけだと思ってます。週に数時間、しかも1クラス40人もの規模でやる語学教育が、「論理」なしで成功するわけはないと思います。もちろん、語学に反復は重要です。が、それは、まず基礎としての論理があって、その上に積み上げるものとして、だと思います。
現場はそんなことくらい、十分にわかっているはずです。カリキュラムから「文法」をはずした人は、いったいどういうつもりだったのか、まるで理解しかねます。