英語と私(2)


中学校に入ると、英語を習わされた。それまで学習塾の類に通ったことはなかった。
数学というのは算数の続きみたいなもんだろうが、英語は中学校で初めて習うものだから、というのが親の論理だったように記憶している(よくわからない理屈だけど)。
塾ではなく、家に先生が教えに来た。と言っても家庭教師とはまた違って、週に1回、うちに同級生のナガタくんとハッタくんがやってきて、で、そこへ先生も来て、3人で英語を教わるというスタイルだった。1回2時間。
先生は地元の私立高校の女の英語教師で、当時おそらく30くらいだったと思う。


この先生が初めて来た日、ぼくがまず質問したのは、小学校以来、長年に渡って抱えていた疑問についてだった。「タクシー」が「takushii」でないのは知ってる。では、「taxi」だとするなら、その「英語」のスペルの法則性はどうなっているのか、ということである。
つまり、自分の知っているローマ字の50音表とは別の秩序で構成された、「英語」の50音表みたいなものがあると思っていたのだ。そうだそうだ、そうだった、そうだった。
まさか、「英語」のスペルというのが不規則で、単語1つ1つ、個別にスペルを覚えなければならないなんて、夢にも思っていなかった。表音文字のくせに、音の表し方に汎用的なルールがなく、単語によってバラバラだなんておかしい。いや、そこまで考えを整理できていたわけではもちろんないけれども、要するに、その面倒くささに衝撃を受けた。「英語の50音表」さえ覚えれば、どんな単語でもスラスラ書けると思ってたのだ。(明らかにこの時点では周囲より遅れていた気がするな)


しかし、この先生の教え方が論理的で非常によくて、何せ中学英語なのに1回2時間もあるから、ばんばん演習させられて、今思うと、基礎固めとしては相当に効果があったと思う。
スペルの謎のショックからもすぐに立ち直り、英語に対する自信は揺らぐことなく、むしろ強化されたのだった。


と同時に、中学1年生というのは、洋楽に目覚めた時期でもある。
それがまた、英語に対する意識に強く影響した。
中1でギターを始め、2年か3年ではバンドのまねごとみたいなことも始めた。ギターを持って歌も歌おうとしたので、自然と英語の詞を読もうとする。すると、徐々に英語力がついてくるにつれて、次第に詞の内容に興味を持てるようになってきた。
洋楽の詞というのは、中にはなかなか気の利いたものがある。少なくとも、教科書の英語よりは格段に面白い。高校に入る頃には、こうした洋楽の詞の探求が、日々の唯一の学習活動になっていく。


(つづく、かも)