英語と私


英語を生業とするようになったことについては、50%くらいは後悔している。
職業の満足度として、50%という数字がいい部類なのか悪い部類なのか、よくわからないけれども、まあ行き当たりばったりでこうなったことを考えると、さほど悪くはないのではないかという気もする。
そもそも、なんで自分は英語だったのか。あらためて振り返ってみると、いろんな事を思い出した。この機会に書き留めておかないと、二度と思い出さないかもしれないような気がすることもあるので、この際、順を追ってしっかり考えてみようと思う。


思えば、英語が自分のアイデンティティの一部のようなものになったのは、おそらく小学校3年生のときだった。その頃、母親が紙に50音表を全部ローマ字で書いてくれて、それを全部暗記した。
今どきの子どもがどうなのかは知らないけれども、その当時、少なくともぼくの周囲では、ローマ字を知っている友だちは皆無だったので、ぼくは自分がローマ字を読んだり書いたり出来るという事実に大きなプライドを持った。ローマ字が出来るということが、自分を他のみんなと差別化する自意識の一部として重要な要素となったのだ。そうだそうだ、そうだった、そうだった。
もちろん、それはただの「ローマ字」であって、「英語」ではない。しかも、うちの親の書くローマ字だから、「たちつてと」も「ta chi tsu te to」ではなく、「ta ti tu te to」だった。しかし、小学校中学年の子どもにとって、英語とローマ字の違いなどわかるはずもない。親戚のおばさんなんかの前で、その辺の目についたローマ字を読んでやって、おお、すごいと驚かれるのが嬉しかった。


しばらくすると、クラスに原くんという転校生がやってきた。彼の親は、確か学習塾だか何だかをやってて、そのお父さんに教わっているらしく、彼もローマ字を熟知していた。英語における初のライバル出現である。
その彼が、ある日、ぼくに大きな疑問を投げかけてきた。道を走っているタクシーを見ると、「taxi」と書いてある、と言うのだ。タクシーは、何故「takusii」じゃなくて「taxi」なのか。2人でどう考えてもわからない。そう言われれば、どうも納得のいかない「英語」がいろんなところで目につく。我々の知っているローマ字と「英語」とは別物なのか……。
誰か大人に聞いたのか聞かなかったのか、聞いてもちゃんと教えてもらえなかったのか、とにかくぼくはその後、5年生になるときに今度は自分が転校して原くんと別れてしまい、「英語」に関するすっきりしないわだかまりを、中学校まで抱え続けることになる。
ぼくの知っているローマ字とは別の秩序で構成された「英語」なるものがこの世には存在する。どういう道筋を辿ったのか、その程度までの認識には小学校の段階で到達していた。しかし、思えば、小学校高学年なら、そのくらいはわかっていて当たり前なんだろうか。いつの間にかぼくは、周りよりもかえって遅れていたのだろうか。
それでも、少なくとも、自分は周りのみんなより「英語」をよく知っているという自意識だけは、まだまだ強かったのだと思う。客観的な事実がどうであれ、この意識が10歳くらいで植え付けられてしまったということが、後々まで尾を引いているように思われる。


(つづく)