酒米の切り返し


今日は、酒米を切り返した。


息子の幼稚園の友だち、かずきくんの家は、七代つづいている地元の造り酒屋である。酒蔵は車で15分ほどかかる田舎にあるが、住居はうちのすぐ近くなので、普段から家族ぐるみでよく往き来している。遊びに行くと、酒が無尽蔵にあるので、非常に心強い。特にこの時期は、しぼりたてのフレッシュなやつがある。
日本酒も近頃は売れ行きが悪く、商売的にはなかなか難しいようだけれども、先代の頃は黄金時代だったらしく、市内に貸しビルやマンション等の不動産をごろごろ持っているので、生活ぶりは我が家の比ではない。酒造業も、以前は杜氏などを10人くらい雇って派手にやってたらしいが、今ではかずきくんのお父さんが1人で全ての行程をこなしている。


酒造業の生活というのは、傍目で見ている限り、相当にうらやましい。
夏の間は、酒造りもできないし、日本酒もほとんど売れないから配達も滅多にない。何をしてるかというと、毎日ごろごろしている。ぼくも普通の会社勤めの人に比べれば、夏休みはずいぶん取れる方だが、毎日ごろごろしてる人には勝てない。夕方5時くらいに会うと、もうたいていビールの2,3本は飲み終わっている。


酒造りは、10月の終わり頃から始まって、今くらいから最も忙しい時期に入る。何せ1人で全てやってるので、ところどころ、どうしても人に手伝ってもらわなければならない行程があるらしい。今日は、「切り返し」という作業に、どうしても手が足りないので手伝ってくれないかと頼まれて、朝から行くことになった。同時に3人が動かなければならないので、1人は奥さんが手伝うにしても、それと更にもう1人が必要なのだという。
作業自体は1時間もかからない簡単なものだったけれども、この「切り返し」という行程がどういう意味を持つのかは、やってみてもよくわからなかった。蒸し終わって暖かい部屋で寝かしてある酒米の、固まりになった部分をほぐしてから、別の木の箱に入れ替える、という感じだった。
終わったあとは、先週出来たばかりの原酒をタンクからコップに注いでもらい、ちびちび飲みながら、他の行程の仕事ぶりを見学させてもらった。酒蔵はひんやりとしてて、酒のすっぱいような甘いような香りが広がっていて、気持ちがいい。


三者として気楽に見てるだけだからそう思うのかもしれないけれども、モノを作る仕事というのは、やっぱりいいなあと思った。かずきくんちの場合は、米を仕入れて酒になるまでの全行程を自分1人でやって、さらにそれを売り込んだり配達したりまで、全て自分の手でやっているのが、またいい。
原料を買い付けるだけとか、酒を造るだけとか、出来たモノを検査するだけとか、営業に回るだけとか、配達するだけとか、売り上げを計算するだけとか、何か1つの行程のプロであることと、全てを全部自分でやるということは、同じ製造業でも、まるで違うことのように思われる。全部自分でやるというのは、何と言うか、非常に健全な感じがする。
ただ、問題は、こういう七代も続いたような酒蔵でも、酒造業自体は赤字経営で、受け継がれた不動産の収入がなければ、いつ廃業してもおかしくない情況にあるということだ。いまどき、全行程を全て1人でやるようなモノ作りは、もはや趣味の世界でしか成立しづらいということか。