履修不足問題・追記


しばらく更新をさぼっている間に沈静化するかと思ってたら、ますます過熱してる必修科目の未履修問題
基本的に言いたいことはもう前回書いたので、今日はもう少しトリビア的な解説として、「受験における地歴公民」のお話をします。


履修漏れは、圧倒的に理系の生徒が多い。何故か。
理系の生徒は、地理歴史の中から受験科目を選ぶ場合、余程の変わり者でない限りは、日本史や世界史ではなく、地理を選ぶ。
進学校なら、そもそも理系の生徒は、3年生では日本史や世界史を選択できないカリキュラムを組んでいるところも多いだろう。
しかし、学習指導要領において、どうしても履修しなきゃならんのは、世界史、なのだ。
そこが問題の原因。


ここで、基礎知識として、センター試験における、いわゆる社会科のおさらいを。


世間一般で言うところの「社会」には、「地理歴史」という教科と、「公民」という教科の2種類があります。
だから、普通は「社会」とは言わずに、これら2つの教科をひっくるめて、地歴公民、と申します。
そして、それぞれの教科の中には、
(地理歴史) 日本史、世界史、地理
(公民) 政治経済、倫理、現代社
という「科目」があります。
受験生は、これらの中から、自分の受験科目を選ぶわけですが、現在、文系の国公立大学受験の標準的なパターンは、「地理歴史」の中から1科目と「公民」の中から1科目、計2科目を選択するのが基本です。
それに対して、理系は、「地理歴史」と「公民」いずれかの中から1科目を選択するのが標準パターンとなります。
つまり、理系の生徒は、日本史、世界史、地理、政経、倫理、現社と履修しても、結局受験に「使える」のは1つだけ、ということ。


では、実際には、理系の生徒はこれら6科目の中から、通常どれを選ぶのか。
そういうデータがどっかにあるんだろうけど、知りません。
ちょっと待ってね。
その変わり、今、ネットでざっと検索してたら、こんなの(↓)見つけました。
http://www.jukensei.net/contents/d_juken/log/eid17.html


ミもフタもない書きようだけれども、まあ、そんな感じです。
政経、倫理、地理。このうちのどれかを選びます、普通は。理系の子は。
ちょっと変わった子は現代社会。
日本史や世界史を選択するのは、ものすごい変わり者です。


理系の進学というのは、基本的に国公立狙いだけれども、私立大ならそもそも地歴公民は必要ないし、国公立でも2次試験で地歴公民が必要になることなどは普通はあり得ない。
センター試験で1科目だけ、どうせ配点も低いんだし、そこそこの点を取っておけばクリア、となるのが、理系にとっての地歴公民だ。


日本史や世界史は、とにかくひととおり勉強するのに時間がかかる上、8割9割といった高得点を取るのが難しい。
翻って地理は、高得点を取るのは同じように難しいかもしれないけれども、6割7割程度の、「まあこのくらい取れれば一応OK」という水準に達するのが比較的容易だと言われている。
全くの「ノーベン(注:高校生用語。無勉強、の意)」でも、初見で5割は取れる、との見方もある。
参考書1冊仕上げるのが、日本史や世界史に比べると、はるかに短時間で済む。
結局、理系の生徒は、いくら勉強したところで、受験に使うのは1科目だけなんだから、どうしても、「1ヶ月ちょっと勉強すれば9割取れるステキ科目(なんだそりゃ)」の倫理や政経、「8割程度までは未習者でも到達可能」で「はずしても7割程度」の地理を選ぶのが「普通の」生徒、ということになる。
確かに倫理や政経は近年、問題が難化して、かつてのような「お得感」は薄れつつあるが、それでも勉強の手間は、日本史や世界史に比べると格段に少ない。


言うまでもなく、理系の受験において重要で配点も高いのは数学や理科であって、地理歴史は、センター試験で「失敗」さえしなければいい教科でしかない。
日本史が大好き、という生徒でも、理系であれば通常は地理や政経、倫理を選ぶ。
そして、高校は通常、そのような前提でカリキュラムを組む。


指導方法も、理系については、当たり前だけれども、とにかく数学と理科(特に化学、物理)を優先する。
英語もがんばらせる。
国語は、油断するなよ、くらいに言う。
地歴公民は、「とりあえずほっといて、直前に仕上げろ。早くから始めても忘れる」、というのが「適切な」指導かもしれない。
つまり、「受験」だけを最優先で考えるならば、理系の生徒は、理想的には地理か政経か倫理のうちのいずれか1つを、3年生の後半くらいに集中的にちゃちゃっと片づけてしまう、というのが最も効率のいい対策であるということになる


はい、ところが、学習指導要領には、必履修科目というものがある、と。
公民は、現社か倫理・政経のどっちかを必ず履修しなければならない。
地歴は、世界史がとにかく必履修で、それに加えてもう一つ日本史か地理のどっちか。
公民はまあしょうがないにしても、最終的に受験で全く地歴を必要としない生徒が恐らく半数を超える(適当に言ってます。たぶん超えると思う)理系の受験者にとって、地歴の負担は非常に重いわけだ。
いや、あくまでも「受験」だけを考えた場合、ですよ。
教育の質云々は別の話。


つまり、理系のカリキュラムにとって、地理歴史というのは、最も「邪魔」なわけです。
使いもしないのに、2科目、最低でも4単位は履修しなきゃならんのだから。
いや、個人的には嫌ですよ、日本史も世界史も地理も全然知らない人間なんて育てたくない、そりゃ。
あくまでも「受験」優先に考えた場合です、はい。


そう、だから、ぼくの雑な計算によると、土曜日も普通に授業やってた時代より17単位分も授業時間が少ない今のカリキュラムの中で、理系の地歴公民に割くような時間があろうはずもない。
現場で、「ここを削るしかない」という荒っぽい判断が出てきてしまうのも、そりゃ止められないっす。


現場にしてみれば、ぎりぎりの状況にまで学校を追い込んでおいて、ちょっとズルしたらここぞとばかりに吊し上げる。そんなやり方で非難されているような気がする、と言ったら言い過ぎか。


自分が高校生だった二十余年前は、理系であろうが文系であろうが、地歴公民は、日本史も世界史も地理も、政経も倫理も、全てひととおり履修した。
そしてその際、普通は、1年生で地理を、2年生以降で日本史や世界史を履修していたと思う。
学習の順序として、まず地理を理解した上で世界史や日本史に行った方が効率的だからだ。
ものには何でも順序というものがある。


しかし、現在のような苦しいカリキュラムの中で、受験だけがターゲットになると、そうも言ってられなくなってくる。
例えば地理歴史3科目のうち、複数の科目が同時に必要となるのは、東大の文系等、ごくごく一部に限られるのであって、普通の生徒は、文系であっても1科目しか要らない。
そして、地理というのは、先のサイトにもあったとおり、一般的にセンター試験において「8割程度までは未習者でも到達可能」と目されている科目である。
直前の1〜2ヶ月で「何とかなる」科目だ。
となると、その時期に集中的にやってしまうのが、時間の使い方としては最も効率的であって、カリキュラムとしては、3年生に持ってくるのがいちばんよい、ということになってしまう。
履修洩れがない学校でも、そのような歪みは、どうしても出てくる。


第一、いまどきの高校生は、みんな、1年生の秋には文系・理系の最終決断をしなければならない。
そうでないと、カリキュラム上の受験対応ができないからだ。
でもね、酷ですよ、15〜16歳の子どもに、文理選択なんて。ほんとに。


未履修問題なんて、細かいこと言い出せばまだまだいくらでもあると思う。たぶん。


「情報」なんて、必履修だけど、ほんとに進学校でずーっとパソコンとかやってる?
情報の教員はまだまだ人材不足で、パソコンの得意な数学や理科の先生が、臨時免許で教えているパターンが多いはず。
だとしたら、「情報」という名の下に、数学や理科、やってない? 大丈夫?


英語だって、今の指導要領には、いわゆる「グラマー」「英文法」の時間がない。
その代わりに「オーラル・コミュニケーション」が入っている。
習うより慣れろ式にやれということだろう。
でも、現実に、大学受験に対応するためには、「文法」の時間なしではとても無理だ。
だとしたら、「オーラル・コミュニケーション」という名の下に、文法、やってない? 大丈夫?


要するに、大学受験をいぢらずに、学習指導要領だけえらいこといぢくりまわしてしまった、と。
そのツケが来てるだけなのに、文科省は何も悪くないつもりかしら。


日本の大学入試は非常に複雑で、その対策は見事にテクニカルだ。
入試制度の全体像を的確に理解しているのは、受験産業の関係者と進学校の教員くらいだろう。
受験生本人もわかってないこと多いからな。
親も半分以上はちゃんとわかってないと思う。
だいたいシステムというのは何でも、修正を重ねるに連れてどんどん複雑怪奇になっていくものであって、受験制度も、もはや限界近くまでややこしいものに育ってしまっている。
もうここに抜本的に手を加えるしか、解決法ないんじゃないでしょうか。