ケニア、台湾、オーストラリア、ブラジル


昨日今日は、うちの職場に新しく赴任するケニア人を出迎えるため、東京へ。
初めて顔を合わせたとき、いきなりやたらと流暢な日本語で矢継ぎ早に、「あ、どうもこの度は大変お世話になります。私のような至らない者でほんとに申し訳ございません。メールではいろいろご丁寧に教えていただきましてありがとうございました。大変助かりましたです」と挨拶された。
笑うところではないのだけれども、その様子を見て笑わぬ日本人はいまい。


アフリカの人だから、もちろん肌の色は黒い。
それも中途半端な黒さではなく、マイルスみたいな、ああいう本当の真っ黒。光沢が感じられるような。
ブラックミュージックの源泉であるというようなこともあって、もともと、アフリカには漠然としたリスペクトの念があるのだけれども、とりわけぼくはあの真のアフロの黒い肌が好きだ。
アメリカの黒人みたいに太っていないところもいい。


今日は朝から新幹線で職場まで連れてきたのだけれども、道中聞いたケニアの話が異常におもしろい。
もちろん全部日本語。
本人は時差ボケが治らず、眠そうにしていたのだけれども、あまりにおもしろいもんだから、次から次へと根掘り葉掘り質問攻めにして、買っておいた駅弁すら食い損ねた。
ちなみに、ケニアでは1日1食か2食が普通らしく、本人は昼食をとる気はもともとないので弁当も買ってなかった。


なんせ日本にいるケニア人は数が少なく、容易に個人が特定されてしまうので、あまりプライベートなことは、いくらブログと言えども書きづらい。
聞けば、彼は、既にその筋では結構名の知れた人だということもわかってきた。
わざわざ我々の職場などに来なくても、他にいくらでも道がありそうだ。
とりあえず、14人兄弟の末っ子で自分と同い年の甥がいる、という話だけでも、2時間やそこらは十分広げられるトピックであって、そういうネタの宝庫なのである、彼は。
実にいい人材を得た。


2週間ほど前に着任したオーストラリアの女の子は、国籍こそオーストラリアではあるものの、両親は台湾人で、見た目は誰が見ても日本人にしか見えない。
実際、日本で生まれて7歳まで日本で育ち、その後台湾に戻って、15歳くらいでオーストラリアに移住したらしい。
今23歳だから、丁度人生の3分の1ずつを、日本、台湾、オーストラリアで過ごしている。
言葉は、日本語、中国語、英語のトライリンガルである。


日本語も、外国人によくあるような変なアクセントがまるでなく、顔も日本人と何ら変わらないから、少し話したくらいなら、百人中百人が彼女を日本人と思うだろう。
確かに、よーく注意してみると、微妙に「てにをは」が間違っていたり、語法におかしなところがあったりする。
それでも、アクセントが実に自然だから、「今どきの若いもんの日本語は……」くらいのレベルにしか思えない。
しかし実際には、こちらがちょっと早口でまくし立てたり、うっかりとやや難解なボキャブラリーを使用してしまったりすると、まるで理解できていなかったりする場合があることがだんだんわかってきた。
その辺のアンバランスが、実におもしろい。


中国語を話すと、同郷の人々には、日本語なまりが混じっていると指摘されるそうだ。
英語のアクセントは完全なオージーイングリッシュだけれども、文法がかなりあやしい。
翻訳を依頼すると、受動態のときの動詞の活用をいつも間違えているし、冠詞の用法も、ぼくなどが見ても明らかに間違っている箇所が必ずある。
普段、ものを考えたり、独り言を言ったりするのは、一体どの言語によるのかと聞いてみると、それも時期によって曖昧らしい。
台湾にいるときでも、何か痛いことがあると、口をついて出るのは「Ouch!」だったりするとのこと。
トライリンガルも大変だ。
ちなみに、先述のケニア人は、英語、日本語、スワヒリ語に加え、自分の部族の言葉も話すので、4つの異なる言語を自在に操ることになる。


去年からずっといっしょに仕事しているブラジル人の女の子は、ブラジル人と言えど、両親は日系の1世なので、血としては100%日本人である。
ブラジル生まれのブラジル育ちだけれども、両親は日本語しか話せないから、家ではずっと日本語を話していたが、教育は当然ポルトガル語で受けている。
顔はもちろんまるで日本人であって、話す日本語も全く自然だ。
しかし、本人は、親との会話を通じての日本語しか知らないので、実は読み書きはまだ勉強中であるし、かしこまった言葉や、公的な局面での日本語を当初は知らなかった。
それで困ったことがよく起きる。


初めて日本に来たときは、「よろしくお願いします」と言われて、一体自分はこの人に何を「お願い」されているのか、自分は何を為すべきなのか、と困ったらしい。
また、誰もが彼女を見て普通の日本人だと思うのだけれども、来日当初の彼女には、難しい漢字の読み書きがまだまだ出来ない。
簡単な注意書き等を「読めない」と言ったら、「ふざけるな」とよく怒られたらしい。
気の毒だ。


同じ年代の女の子が、日に焼けまいと日傘をさしたり日焼け止めを塗ったりする中、彼女はせっせと肌を焼いている。
ブラジルでは、ちゃんと健康的に日に焼けて黒い方が美人なのだそうだ。
服装のセンスも、何となくブラジル的である。


見かけはまるで日本人なのに実は日本語をわかっていない外国人、という人々に、仕事柄、たくさん接する。
そういう人は、街のそこここに意外とたくさんいることを知るべきかもしれない。


また、あからさまに外国人であるとわかる容貌であっても、電話で話せば日本人としか思えないような奴らも、想像以上にたくさんいるのかもしれない。
今日のケニア人のようなレベルに達している外国人に向かって、「日本語上手ですねー」とか「漢字書くの上手いですねー」とか言うのは、横で聞いてても、もはや馬鹿にしているようにしか聞こえない。
外国人だって普通に日本語を話すのだということを、そろそろ知るべきかもしれない。