アデノイド(2)


息子のアデノイド切除に関しては、簡単な手術だというので、手術それ自体はさほど心配していなかった。むしろ、息子がそれに対してどのような抵抗を展開するかが最も気がかりだった。


とにかく暴れる。
特に今回の病院は第一印象が悪かったらしく、単なる診察の段階から、愚妻が大変な苦労をしていた。
見栄っ張りで強がりなので、注射などは何ともない。血液検査なんかでも、強がって「全然痛くない」とか言っている。
最大の問題は、鼻に突っ込まれるファイバースコープらしい。
経験がないのでわからないけれども、聞いた話では、確かに大人でも非常に気持ちの悪いものらしい。鼻から管を突っ込まれて、それを喉の辺りまで押し込むのだから、まあ確かに気分悪そうだ。
息子はこれが我慢できないらしい。


手術の数週間前の検診でも、主治医+看護婦4人で頭と手足を押さえつけた挙げ句に無理矢理鼻にねじ込んだものの、一瞬の隙をついてチューブをわしづかみにし、へし折ろうとした。
この器機は非常に高価であるらしく、思わず悲鳴をあげる主治医(女医)。息子は、動揺する彼女に蹴りを数発喰らわせ、看護婦達の間をすり抜けて診察台を飛び降り、診察室から飛び出して走り去ったという。
とても自分の子どもとは思えない。
それ以後、息子の「蹴り」はこの病院でも有名になり、診察室に入ると必ず看護婦が最低4人はスタンバイするというVIP待遇となった。


そんなバカ息子が、果たして手術に耐えられるのか?
直前の検診でも得意の蹴りを見せ、主治医に真顔で「手術、やめます?」と訊かれたらしい。
聞けば、アデノイドや扁桃腺の切除は、切るときこそ全身麻酔だから何ともないものの、術後が非常に苦しいという。
そんな状態に、うちの息子が耐えられるのか。暴れ始めたら、何人がかりで、どれくらい押さえてなければならないのか。


愚妻は、これに対して、正攻法を選択した。
「大したことない」とか「すぐ終わるから」とかいったまやかしは通用しない。あらかじめ腹をくくらせるのがベストだろうという判断だ。
もちろん、かなりのブラフは必要である。「手術をしないと耳が聞こえなくなってしまう」「そのうちに息が出来なくなってしまう」と脅して、前日には、完全に手術に対する覚悟を決めさせた。
これが奏功し、また、幸いファイバースコープの検査がなかったこともあり、手術前のあらゆる検査が実にスムーズに進み、点滴から麻酔、手術へと、何の問題もなく進んだのだった。


問題は、麻酔が覚めた後だった。
アデノイド切除後の傷口がうまく止血せず、ガーゼをあてがうことになった。
ガーゼをあてるっつったって、アデノイドっちゅうのは鼻の奥の方、喉の奥の上の方、その中間あたりである。
そんなところにガーゼをあててある。両鼻は計5枚のガーゼを詰められてパンパンにふくれあがっている。喉の奥にもガーゼが貼り付けられているという。それらのガーゼは、スムーズにはがすための糸が仕込まれていて、その糸の端が口から垂れ下がっている。「このヒモを引っ張るとガーゼがはがれますから、引っ張らないように注意してください」とのこと。
見ているだけで気持ち悪そうだ。
当然、鼻からはまるで息が通らないから、胸はベコベコし、呼吸が何度も止まる。苦しそうなことこの上ない。


麻酔が効いてるのか効いてないのか、寝たり覚めたりを繰り返す息子は、少し目を覚ますたびに「苦しい」だの「痛い」だのと言っては暴れ、ベッドの柵を蹴りまくる。主治医が検診に来ると、また蹴り倒す。


子どもの入院には必ず親が付き添って寝泊まりしなければならないルールで、最初はぼくが泊まることになっていた。
下の娘はもうすぐ3歳だというのにまだおっぱいを飲んでいて、夜も嫁なしで寝たことがないからだ。
しかし、鼻と喉にガーゼを詰められた息子があまりに苦しそうで、これはさすがにかわいそうだということになった。
普段はケンカばかりしていても、いざというときはやはり息子も母親を要求する。
結局、愚妻が病院に泊まり込むことになり、嫁はその夜、文字どおりまんじりともできぬまま朝を迎えたらしい。


翌朝いちばんで耳鼻科の診察室へ行き、全身を押さえつけられてガーゼを取る作業はさすがに辛かったようだけれども、その後はけろっと上機嫌になって、何故か喉もほとんど痛がらずに何でも飲み食いし、逆に元気すぎて手に余るほどの入院生活を送ることになった。
普通は飲み込むのが痛いので、病院の食事も三分がゆ、7分がゆ、と徐々に進んでいくのだけれども、息子は翌日からこっそりチャーハンや唐揚げを食い、しかもそれが見つかって怒られていた。
点滴のチューブをぶら下げながら、ベッドの柵にのぼってジャンプしたりしている。
喉が治っても、性格までは治らなかったらしい。