RCサクセション研究室 その5


結局、「うた」が好きなんだろうと思うわけです。
まあ基本的には音楽が好きなわけですけれども、同じくらい、言葉も好きなわけでして、かと言って、詩を読んだりするような趣味は全くない。
でも、歌詞っていうのは、なんかこう、非常にいいもんだな、と。
陳腐な言葉でも、いいメロになっていい声で歌われたりすると、非常に感動的なものになったりするわけでして、その辺は語り始めるとなかなか高度な問題だと思うんですけれども、とにかくそのような事情で、詩はつまんないけど(て言うか、よくわかんないけれども)、歌詞というのはすごくおもしろい気がするわけです。
その辺が音楽のマジックでしょうか。


清志郎のどこが天才かと言うと、まあ存在自体が天才ですけれども、客観的には、とにかくまず詞が天才です。
それを語り出したら、ぼくは1年連載できます。
吉本隆明にもずいぶん誉められてたので、言葉だけ取り出して「詩」として読んでも優れてるんでしょうけれども、それはもちろん一面的な評価であって、やっぱり「うた」として評価しないといけません。
でも、それは非常に難しい作業かと思います。


「♪金もうけのためーにー 生まれたんじゃなーいぜー」とか、清志郎が歌ってると、すごーく痛快なんですけど、ゆずがカバーしてるの聴くとむかっ腹立ちますね(笑)。ゆず、すごく嫌いです。
その辺、実に難しいです。
言葉としては、今となってはあまりにステレオタイプで青臭いわけですけれども、清志郎が歌うと、いまだに少年的な純粋さがそのままに感じられると言うか、この青臭い物言いが、清志郎のうたによって甦生するように感じられます。40近くなっても、ほんとに「金儲けのために生まれたんじゃないぜ」っていう気分になってきます(笑)。
でも、ゆずだと、青臭くて気持ち悪いだけですね。
その辺が、まず存在として既に天才であるということでしょう。


「金儲けのためにうまれたんじゃない」なんていう手あかにまみれた物言いに、再びリアリティを与えることが出来るのは、音楽の力であり、「うた」の力ですね。それ以外の何物でもないです。


という書き方は、清志郎の評価としては、ほんとは適切ぢゃないかもしれません。
清志郎の「うた」が優れているのは、そういう天性の少年性みたいなものだけでなく、むしろ技術的な側面が大きいわけですから。


アルバムでは、「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」の前が、「この世は金さ」っていう曲なんですね(笑)。
そんな一筋縄ではいかないです、清志郎は。
一見、直情型に見えて、実はすごくクールで、かなり冷静に言葉を組み立ててます。
吉本隆明が反応したのも、このアイロニーに対してですね。
この当時、清志郎、まだ二十歳くらいです。


デビュー曲は、「宝くじは買わない」って曲で、当時19歳です。
35年前の曲ですから、さすがにちょっと古くなってますけど、1970年の曲です。当時の、例えばグループサウンズとか、他のヒット曲なんかの言葉と比べてみてください。
既に天才なのがよくわかります。


デビュー当初の曲で、ぼくがいちばんすきなのは、「ねむい」っていう曲です。一時期、自分のテーマソングにしてました(笑)。
「♪ぼくのために 電話は鳴らないでおくれ ぼくのために 朝は来ないでおくれ」「♪夢も見たくない しあわせなんかいらない 恋もしたくない お金なんかいらない」
無駄な言葉がひとつとしてありませんです。