学校週休2日制と総合的な学習の時間(2)


(一昨日のつづき)


完全週休2日制がいよいよ実施されるということになった頃、世間では、「教師は夏休みや冬休みもたくさんあって、なおかつ土曜日も休みになるなんて楽でいいな」的な見解がよく見聞されたし、実際、ほんとに始まってみるまでは、当の教員の間にも「ちょっとは楽になるのでは」といった仄かな期待があったのではないかと思う。
しかし、いざフタを開けてみれば、週休2日制というのは、教員にとって大幅な負担増でしかなかった。
(小中の様子はよく知らないので、今日の話はあくまでも高校の話だと思って読んでください)


考えてみれば当たり前だ。
例えば、1週間の担当授業数が18時間だとする。土曜も授業があった頃は、1日平均3時間という計算だ。
しかし、それが週5日制になったからと言って、担当授業数がそれに応じて減る、というわけでは、もちろん、ない。持ち時間は18時間のままだ。すると、1日平均3.6時間の授業をすることになる。
当然ながら、教員の仕事は授業だけではない。授業だけやってりゃいいのなら、確かにそんな楽な仕事はない。授業なんていうのは、教員の仕事の半分かそれ以下だろう。授業以外の部分の仕事についても、使える時間が1日分減る。
要するに、週6日が週5日になっても、こなさなければならない仕事の量は何も変わらない(むしろ新体制に対応するために、補習等のエクストラが増える)のだから、1日あたりの仕事量は単純に考えて6÷5=1.2倍(以上)になる。仮にそれまで8時間勤務で定時に帰れていた人がいたとしても、最低その1.2倍=9時間40分はかかることになる。つまり、日々の労働時間が、毎日1時間40分増える。


それでも土日休めるんだからいいじゃないか……ということには、もちろんならない。
少なくとも、生徒の大半が大学に進学するようなレベルの学校であれば、土曜を休ませるわけにはいかない。
何せ、今まで週34時間あった授業数が30時間になるのだ。しかも大学入試は何も変わっていない。どう考えても、授業時間は不足する。進学校と呼ばれる高校は、おそらくほぼ全ての学校が、土曜日に課外授業を行っているはずだ。
そんなことやるくらいなら、今までどおり授業をやる方が、教員にとっても生徒にとっても負担は少ない。課外授業は、平常の教科書とは別の、特別な教材を準備しなければならないからだ。
普段使っている教科書をそのまま進めていいのなら、教員の手間もそれほどかからない。しかし、課外授業は課外授業で特別なプログラムを組まなければならないから、その都度、教材を準備し、授業の手はずを整えなければならない。教科や担当者にもよるけれども、課外授業1時間やるのに、その準備に2時間はかかるのではないか。
つまり、月〜金が1.2倍の労働量になるだけでなく、土曜は従来以上に手間がかかることになる。
週休2日が実施されてすぐ、現場では、今までどおり普通に授業をやらせてくれという声が噴出した。しかし、お上の見解はNOである。土曜にやってよいのは、あくもまでも「課外授業」であって、平常のフォーマットの授業は実施してはいけないことになっている。
以上は進学校の事情だけれども、そうでなくても、クラブ顧問であれば、まず土曜を休めるということは考えにくい。


で、問題は、それを生徒の側からとらえるとどうか、ということだ。
教員が多少不自由な思いをしても、生徒にとって意味があるならそれでいいではないか、という話にもなる。
しかし、結局、学校を運営するのが教師である以上、運営する側に余裕がなくなれば、最終的に被害は生徒にまで及ぶ。
つまるところ、この問題は、それに尽きる。


完全週休2日制が導入されて以降、ほんとに教員は余裕がなくなった。
もともと教員というのは、よく指摘されるとおり、その仕事っぷりに対するチェック機構がほぼ皆無だ。手を抜こうと思えばいくらでも抜けるけれども、力を入れようと思えばいくらやってもキリがない。いい加減にやっても余程でない限り咎められることはないし、逆にどれだけいい仕事をしても評価されることは少ない。
従って、生徒のためにどれだけ頑張るか、というのは、まさに教員個人個人のやる気次第であって、「よくぞそこまで」と思えるような立派な人もいれば、給料泥棒としか思えないような人もいる。
しかし、たとえやる気にあふれた良心的な教師でも、ここまで時間的ゆとりがなくなると、日々のノルマをこなすのに精一杯で、日常の仕事の改善や自身のスキルの向上を図るような余裕は、まるでなくなる。これは、長い目で見れば、受益者である生徒にとっては、大きな損失であるように思える。


具体的に、進学校でよく言われているのは、個人面談の時間の確保が非常に困難になったことだ。
なんせ、1日1時間40分の仕事増であるし、会議等も密集してくるから、放課後の生徒との面談時間の確保は困難を極める。限られた日数の中でやらなければならないから、1人1人に割り当てることのできる時間も少なくなるし、内容も薄くなる。
もともと、クラス40人の生徒の進路指導なんて、誠実にやろうとすればするほど気が狂うような大変な仕事(て言うか、1人でほんとに誠実にこなすのはとても無理)に決まっているけれども、そのうわべの形すらも整えられなくなってくる。
実感として、これだけでも生徒の被る被害は大きい。
ほんとに「ゆとり教育」を行いたいのなら、まず教員にも「ゆとり」を持たせるべきなのだ。冗談でも何でもなく、ほんとにそう思う。教育現場に「ゆとり」の雰囲気を作り出すには、教員に「ゆとり」がなければ絶対に不可能である。


それ以外の問題は、世間でよく言われているとおりではないかと思う。
週休2日制は、教員にとっては1.2倍以上の負担増だけれども、生徒にしてみれば、週34時間から週30時間への、単純な授業数の減でしかない。しかし、結局はその不足分を補うための、膨大な量の「週末課題」を与えられ、「自学自習」によって、従来と何ら変わらぬ大学入試への対応を迫られることになる。要は、生徒の負担も結局は何も減ってなくて、学校で足りない分は自分でやれよ、ってことになっただけだ。そしてもちろん、そんなことが実際にうまくいくほどいまどきの高校生が素直なわけもない。
少なくとも、学力の点から見れば、塾通いの過熱等により、いわゆる二極化(と言うよりは、実感的には、一部のエリート層とそれ以外という、均整の取れていない2分化)が進行するということは、かなりはっきりしているのではないか。


結論。
学校週休2日制による「ゆとり」路線は、結果的に、教員・生徒双方から、むしろゆとりを奪い、なおかつ、全般的な学力も低下させた。
しかも、さらに文科省は追い打ちをかける。
このゆとりのない日々の中に、「総合的な学習の時間」なるものを入れなさい、だって。


……一昨日の日記を読み直したら、怒り(と酔い)に任せてずいぶんと筆が荒れているようなので、今日は冷静に書こうと思ったのだけれども、やっぱりなかなかそうはいかなかったようです。
総合学習についてはまた次回にします。