餅つき


今日は、田舎の餅つきの日で、朝から手伝いに行った。嫁と娘は風邪(やっぱり、たぶんインフルエンザではない)で今年は留守番。息子と2人で行く。
田舎の伯父母もだんだん年を取ってきたので、以前のように作業は任せっぱなしというわけにはいかなくなってきて、労働力として期待されている。おかげで、ここ10年くらいのうちに、すっかり餅つきが上手くなった。餅をつくのは、力任せにやってはダメで、力の入れ方・抜き方にコツがある。


今年は5臼搗く。
大きな釜のついた専用(?)のガスコンロの上に、真ん中に直径3cmほどの穴があいた分厚いケヤキの板を置き、その上に蒸し器を重ねて餅米を蒸す。今年はケヤキの板を新調したので、このケヤキからアクが出て、ひと臼めは餅米に木の色が少しついた。
蒸し上がった餅米は、本来はすぐに臼に入れて、ねばりが出てくるまで「小搗く(こづく)」のだけれども、この作業がいちばんしんどい。搗き手は伯父、親父、ぼくと3人いるのだから、それくらいやってもいいと思ったが、老人2人の意見により、今年は小搗きは機械にやらせることになった。餅つき機(?)なる機械があるのだ。実にシンプルで単純な機器だが、杵と臼を使わなくても、これで最後まで完成させられる。が、機械で搗くと粘りが弱くて美味くないらしい。今日は小搗きのみ機械でやって、あとは杵で搗く。


ひと臼目・ふた臼目は、身内4軒分の鏡餅と、神棚や仏壇にあげる丸い餅になる。玄関などに鏡餅を飾るだけでなく、台所や、車の中など、いろんなところにプチ鏡餅みたいのを供えるので、たくさん要る。正月も3日になれば鏡割りをして、最終的には食べる。
丸い餅を作るのはなかなか難しくて、やっているとイライラしてくるので、いつも参加しない。伯母がやっているのを見ていると、四隅をつまんで巾着状にいったん集め、集めた部分をひねってひとまとめにくっつけてから、その部分が底になるようにパンパンと叩いて丸く整えていく。見てると簡単そうなのだけれども、やってみるとうまくいかない。粉をつけすぎるとすぐにカビがくる。しかし、あまりつけないと手にべたべたくっついてうまくいかない。結局今年もこの作業には加わらなかった。5歳の息子は、頭のてっぺんから足の先まで粉だらけになって餅をこねくり回して遊び、怒られた。
丸く整えられた餅は、プラスチック製の大きなトレイのようなものの中へ並べていくのだけれども、このトレイのことを、伯父母は「ろうじ」と呼んでいる。毎年気になっていたので、今日は家に帰って大辞林で調べてみたけれども、記載がない。「ろうじ」って何だろう。


三臼目は、搗き上がってすぐをおろしとあんこでまず食べた。おろしには菜っ葉を入れて「菜もち」にする。この「菜もち」という名称にどのくらい一般性があるのかわからないけれども、搗きたての餅を食べるには、これがいちばんおいしい。あんこやきな粉や砂糖醤油も美味しいけれども、菜もちは飽きずにたくさん食べられる。
食べた残りは、「しはん餅」にする。「しはん餅」という名称にどのくらいの一般性があるのかわからないけれども、要は、四角い切り餅のことであって、恐らく「四半餅」の意であろうと思われる。「のし板」と呼ばれる専用の板の上で、丸い棒(名前忘れた。すりこぎ状の棒です)を使って大きな板状に、のす。


四臼目は、同じく四半餅にするのだけれども、今度はクチナシで色を付ける。小搗きが終わった段階から徐々にクチナシの汁を混ぜていくと、次第に鮮やかな黄色に染まっていく。クチナシは肝臓にもいいらしい。
最後の五臼目は、ヨモギ餅にする。搗き上がったら、あんこを包んであんころ餅になる。あんこを包む作業は、非常にイライラするので参加しなかった。息子に参加させるとめちゃくちゃになりそうだったので、別室へ連れて行き、ポケモンの本を読んでやった。ヨモギ餅は最終的にきな粉をつけるので、片栗粉は使えない。あんこを包もうとしても、手にねばねばくっついて仕方がない。やってると実にストレスがたまる。
ヨモギというのは、餅に混ぜる前や搗いている途中は、まさに雑草としか思えないようなアクの強い嫌な匂いに感じるけれども、できあがると実にいい香りに思えるのはどうしてだろうか。