履修不足問題について


富山県に端を発した、高校での必修科目の未履修問題は、現時点で31都道府県183校まで広がった。
それくらいやってるところはあるだろうなとは思ったけど、そんなに多いとはちょっと予想外だ。


簡単に説明すると、今の学習指導要領では、地理歴史という「教科」においては、日本史、世界史、地理の3つの「科目」があり、そのうち世界史が「必修科目」となっている。
高校を卒業するには、地理歴史は、世界史を含む2科目以上を履修しなければならない。
日本史・世界史・地理のうち、なぜ世界史だけが必修?という問題ももちろんあるのだけれども、そこはまあまあ別の議論ということで。中教審における経済界からのプレッシャーとか、いろいろあるんでしょう。
で、件の学校は、この世界史を、「やったふり」してすませてた、と。
理系の生徒が受験で地理歴史を2科目必要とすることは、ほぼ100%ない。
社会には、もう1つ「公民」という教科もあるわけで、こちらを選択すれば、地理歴史は1つも必要ないということもしばしばだろう。
そういう状況で、地理歴史を2科目も履修させるのは、実際非常にきつい。
「世界史」という名目の授業で、別の教科を勉強させておこう……。
大まかに言うとそういうことだと思う。


報道も過熱してきた。
これでまたまた学校現場や教委に対する風当たりが強くなるんだろうな。
実際は大変微妙な問題だと思うけれども、文科相は、都道府県教委を悪者にしようという方向で発言しているようだ。
どこがいちばん悪いかっつったら、そりゃあんた、間違いなく文科省なんだけどねえ……。


ぼくは内田樹には全幅の信頼をおいているのだけれども、その内田樹でさえ、今日のブログでは現場に手厳しい。
http://blog.tatsuru.com/archives/001970.php


身内贔屓な面もあるのかもしれないけれども、この問題で、現場の教員を責めるのは、正直、ちょっと酷なのではないかと思う。


現場の教員は、「けっ、受験に使えねえ世界史なんかやってられっかよ」というノリでズルしてるわけでは、たぶん、ない。
学習指導要領に違反したカリキュラムを組むというのは、相当な勇気と覚悟がいる。
教員の世界は、どちらかと言うと、事なかれ主義のムードが優勢だと思っていたので、これだけルール違反をやってる学校があったことは驚きだ。
現場では、苦渋の選択であるはずだ。
推測するに、どこかが「抜け駆け」的にこういうことを始めて、それが、「あそこではやってるらしい」的に徐々に広がり、急速に蔓延していったのではないかと思う。
教員の世界は、「あそこもやってるから」的に安易に流されやすいムードも優勢だからだ。


現場のカリキュラムが、そうまでしなければならないほど追いつめられている理由が3つある。
1つは、学校週5日制。
これがまず最初にやってきた。
土曜の4時間がまるごとなくなったのだから、月にして16〜20時間、年間で百数十時間の授業が失われた。
当然、それまでどおりのカリキュラムが組めるわけがない。
この時点で、進学校では、そのカリキュラム編成において、各教科間で授業時間の奪い合い戦争が勃発したはずだ。


あとの2つはほぼ同時にやってきた。
1つは、新学習指導要領。
今、高校には、かの高名な「総合的な学習の時間」と「情報」という、“受験にはまるで使えねえ”科目が、必修科目としてカリキュラムに入り込んでいる。
ただでさえ少なくなった授業時間の中に、こいつらもぶち込まなければならない。
もちろん男子が「家庭」を履修するのも当たり前ですよ、とっくの昔から。
細かいこと言うなら、英語も、「オーラル・コミュニケーション」という、「受験」には非常に役立てにくい科目が必修。


さらにもう1つは、近年の大学入試科目の増加傾向だ。
数年前から、国公立大学の入試の標準的なスタイルが、それ以前の5教科6科目から、5教科7科目に変わった。


もうこれで、高校のカリキュラムは、ぱんぱんに張っているどころか、どう考えても絶対的に時間が足りない。
「どーすりゃいいのよ!」って、現場ではもう何年も前から悲鳴あがりっぱなし。


全くの私見だけれども、一般的に、高校の教員は、「受験に使えねえ世界史なんかやんなくてもいいだろ」と考えているわけではない。
内田樹が書いているような的確な理路ではないけれども、「受験に必要なくても、物理だって倫理だって(この2科目がよく例に挙がる)、何だって少しくらいはかじっておいた方がいいんだけどなあ」くらいのことを言う一般常識くらいは、高校教員にだってある。
ちょっとでも学校でやらされてりゃ、そういう世界もあることを知れるし、ひょっとすると後で自分でやり直すきっかけになったりするかもしれない。
生徒の人生を大きく考えれば、全部履修しておいた方がいいに決まっている。
……そんくらいのことは、一般の高校教員だってわかってる。と思う。


実際、二十余年前、我々の高校時代は、思えばまだまだ牧歌的だった。
ぼくは私立文系だったけれども、物理も履修させられた。
社会は、日本史も世界史も地理も、倫理も政経も全部やらされた。
カリキュラムにそれだけの余裕があったからだ。


冷静に計算してみましょう。
月〜金が6時間で、6×5=30。土曜日の4時間を足して、週に34単位。3年間で、102単位。
これが昔の数。(実際にはホームルームとかもあるから、もうちょっと複雑なんだけど、話を単純にして進めます)
今は、月〜金の30単位のみ。それが3年で90単位。
さらに、総合的な学習の時間が1単位ずつ3年間入るし、情報が2単位必履修だから、昔との比較で行くと、「受験に使える授業」は、合わせて−5単位で、85単位。
102−85=17単位!
もちろん、大学の入試は、ほとんど何も変わってません。
変わったのは高校の授業時間数だけ。
当然、それに合わせて入試問題のレベルは昔に比べて下がってるけど、高校でかかる手間は変わらない。
例えば日本史だったら、縄文時代から近現代まで、ひととおりやらなきゃならないことに変わりはないんだから、必要とする授業時間数は、入試問題のレベルとはほとんど関係がない。


そりゃ今より17単位も多かったら、誰もズルしないと思うよ。
世界史の必履修単位なんて、2単位でしょ、確か。
じゅうぶんお釣りが来ます。
実際、事の発端となった高岡南高校なんて、ズルしながらも、さらに7限授業を週に3日もやってたらしいじゃないの。
いちおうそれなりの経営努力はしてるんだと思う。
たぶん土曜も課外やってるだろうし。知らないけど。
7限授業が週に3日もあったら、めちゃくちゃ大変よ。
クラブ活動の時間が保証できないから、野球部の顧問の先生とかが大反対したり、とかさ。
世界史の2単位すら工面できないくらい、現場はひーひー言ってるのだ。


安倍首相のコメントがふるってる。
「驚いた。こういうことが起こるとは考えられなかった。子供たちの将来に支障をきたすことがないように、ちゃんと対応してもらいたい」
……これを聞いた現場の高校教員は、全員が激怒したんじゃないでしょうか。
敵、増やしたよ、たぶん。
あのさ、現場の教員は、あんたの1万倍は「子供たちの将来」のこと、考えてると思うよ。
いや、教員が考えているのは、確かに「子供たちの将来」じゃなくて、「学校の進学実績」かもしれないです、そりゃ。
でも、それは、哀しいかな、進学校の子供たちと、ほぼ100%利害が一致する。
進学校の子供たちやその保護者は、通常、「私たちの将来を大きな視野で熟慮し、目先の受験にとらわれない全人的な教育を行ってほしい」といった要求を行わない。
彼らが求めるのもまた、「受験への対応」なんです、圧倒的に。
もっと予備校みたいにやれ、などという哀しい意見の方が、「顧客」である生徒や保護者からは全然強いのだ。
第一、「顧客」のことをしっかり考えてなきゃ、何も無理に「違反」してまで危険を冒すようなカリキュラム組むわけねえじゃねえか。
それとも何か?単にめんどくせえから世界史スキップしたとでも思ってんのか?


こんな無理な状況を作り出しておいて、それでもまだ現場や県教委を悪者にしようという文科省は、いったいどういうつもりなのだろうか。


同じく内田樹が、数日前のエントリーで、このように(↓)書いている。
http://blog.tatsuru.com/archives/001961.php
全くもってそのとおりだと思う。
普通科高校にだって、東大や京大にばんばん生徒を送り込む学校もあれば、3年間のうちに生徒の3分の1が退学してしまうような学校もある。
それを全部同一の学習指導要領でガチガチに規制してしまうことがそもそもおかしい。


もちろん、最初に「抜け駆け」して、「ズル」を蔓延させた学校の罪は重い。
「あそこもやってるから」的にズルを追随した学校も、無論、悪い。
しかし、少子化で高校も統廃合が進む中、生き残りをかけて何とか進学実績を作ろうとするのも、人情としては仕方ない部分があるんじゃないかと思う。


そういうわけなので、内田先生、少しは情状酌量の余地、ないでしょうか……。