今日のニュースより


・<いじめ調査>やる方が「悪い」は半数以下 希薄な罪の意識


これは昨日のニュース。
『いじめがあった時「いじめる方が悪い」と考える子どもが中学、高校で半数にも満たないことが、民間団体の調査で分かった』、と。
いじめについては、ずっと前にだいぶ書いたのでもう繰り返しません。
いじめる側は往々にして正義ヅラをしているのだということは、こないだも書いたばかり。
マスコミの報道ぶりなんかはその最たるものであって、社会全体にそんなムードが蔓延してるからこそ、それが子ども社会にも直に反映されているだけだ。
『ごく少数だが、こんな感想もある。「いじめが悪いとは思いません。人が(いじめを)やるのもその人の個性だ」(公立小6年男子)』
……「個性の尊重」とかいうのをやりすぎたんですな……。


・<履修不足センター試験で6教科義務化検討 文科相が考え


『「高校は予備校ではない。(習熟度の判断を)校長の認定する卒業証書だけに任せておくのは考えなければいけない」と強調。すでに6教科すべての受験義務化を検討するよう省内に指示したことを明らかにした。』
そんじゃあ体育は? 保健は? 家庭もセンター試験しなきゃいけないんじゃないの?
ゆとり教育だっちゅうんで3教科だの4教科だののアラカルト入試を始めたのは誰よ?
そうやって場当たり的に、ものすごーく単純な発想でころっころころっころ制度を変えられて、そのたびに現場がどれだけ混乱してるかわかってる?
いちばんの被害者が当事者である受験生であることは言うまでもない。
同じシステムが3年と続かないんじゃ、それこそ学力以前に、要領のいい者が得をするようになってしまう。
そもそも、今のカリキュラムで、3年間で6教科仕上げるなんて、まあ無理ですわ。
もはや小手先の対症療法ではどうにもならないくらい、ずたずたになっております、中等〜高等教育は。


・「核保有」議論すらダメは行き過ぎ…首相、党首討論


『その上で、日本の核政策については、「非核三原則を今後とも維持していくことに、いささかの変更もない」として、政府や党の正式機関で核保有などを議論する考えのないことを表明。』
って、言ってることおかしくないか?
一国の外務大臣が発言したんであって、となりのオヤジが銭湯で核保有議論始めたんじゃないんだから。
自分がそういう発言をすることによって内外にどういう影響が出るか、というようなことを、計算ずくで言ってるのか、それともまるで不用意に言っちゃってるのか……。
あの大臣はマンガばっかり読んでるらしいから、まだ子どもなのかもしれんな……。

Around the City / Eliane Elias を聴く

Around the City


ネットをぱらぱら見てたら偶然引っかかって、何となくよさげだったので購入。
ブラジルの女性ジャズ・ピアニストだけれども、これは歌モノ。
ジャズテイストのボサノヴァ風ポップとでも言いますか。
ここ数年はそういうやや通俗路線だそうです。
特に感銘を受けたわけではありませんけれども、これぞ秋の夜長の大人のBGMに最適。
鼻につくところがまるでないと言うか、どんな気分のときでも安心して流せると言うか、そういう非常に使い勝手のいいアルバムで、気がつけば我が家のヘビーローテーション
最近いちばんよく聴いてるかもしれません。

Acoustic Soul / India Arie を聴く

Acoustic Soul


5年以上も前の作品で、しかも相当売れたらしいけれども、全然知らなかったですよ、こんなの。
ネットをぱらぱら見てたら偶然引っかかって、何となくよさげだったので購入。
いやいや、めちゃくちゃいいじゃないの、これ。
ネオソウルっちゅうのか、オーガニックソウルっちゅうのか、なんだかよく知らないけど、この人のはかなり抑制がきいてて、夜でもかけっぱなしにしとくのに最適。
うちに到着以来、既にヘビーローテーション入り。
おっさんになってきたので、激しい音楽や情報量の多すぎる音楽は長時間聴いていられないんだけれども、これなら大丈夫です。
欲を言えば、ちょっと全体のトーンが暗め、か。
あと2、3枚出てるみたいだから、買ってみようかしら。

履修不足問題・追記


しばらく更新をさぼっている間に沈静化するかと思ってたら、ますます過熱してる必修科目の未履修問題
基本的に言いたいことはもう前回書いたので、今日はもう少しトリビア的な解説として、「受験における地歴公民」のお話をします。


履修漏れは、圧倒的に理系の生徒が多い。何故か。
理系の生徒は、地理歴史の中から受験科目を選ぶ場合、余程の変わり者でない限りは、日本史や世界史ではなく、地理を選ぶ。
進学校なら、そもそも理系の生徒は、3年生では日本史や世界史を選択できないカリキュラムを組んでいるところも多いだろう。
しかし、学習指導要領において、どうしても履修しなきゃならんのは、世界史、なのだ。
そこが問題の原因。


ここで、基礎知識として、センター試験における、いわゆる社会科のおさらいを。


世間一般で言うところの「社会」には、「地理歴史」という教科と、「公民」という教科の2種類があります。
だから、普通は「社会」とは言わずに、これら2つの教科をひっくるめて、地歴公民、と申します。
そして、それぞれの教科の中には、
(地理歴史) 日本史、世界史、地理
(公民) 政治経済、倫理、現代社
という「科目」があります。
受験生は、これらの中から、自分の受験科目を選ぶわけですが、現在、文系の国公立大学受験の標準的なパターンは、「地理歴史」の中から1科目と「公民」の中から1科目、計2科目を選択するのが基本です。
それに対して、理系は、「地理歴史」と「公民」いずれかの中から1科目を選択するのが標準パターンとなります。
つまり、理系の生徒は、日本史、世界史、地理、政経、倫理、現社と履修しても、結局受験に「使える」のは1つだけ、ということ。


では、実際には、理系の生徒はこれら6科目の中から、通常どれを選ぶのか。
そういうデータがどっかにあるんだろうけど、知りません。
ちょっと待ってね。
その変わり、今、ネットでざっと検索してたら、こんなの(↓)見つけました。
http://www.jukensei.net/contents/d_juken/log/eid17.html


ミもフタもない書きようだけれども、まあ、そんな感じです。
政経、倫理、地理。このうちのどれかを選びます、普通は。理系の子は。
ちょっと変わった子は現代社会。
日本史や世界史を選択するのは、ものすごい変わり者です。


理系の進学というのは、基本的に国公立狙いだけれども、私立大ならそもそも地歴公民は必要ないし、国公立でも2次試験で地歴公民が必要になることなどは普通はあり得ない。
センター試験で1科目だけ、どうせ配点も低いんだし、そこそこの点を取っておけばクリア、となるのが、理系にとっての地歴公民だ。


日本史や世界史は、とにかくひととおり勉強するのに時間がかかる上、8割9割といった高得点を取るのが難しい。
翻って地理は、高得点を取るのは同じように難しいかもしれないけれども、6割7割程度の、「まあこのくらい取れれば一応OK」という水準に達するのが比較的容易だと言われている。
全くの「ノーベン(注:高校生用語。無勉強、の意)」でも、初見で5割は取れる、との見方もある。
参考書1冊仕上げるのが、日本史や世界史に比べると、はるかに短時間で済む。
結局、理系の生徒は、いくら勉強したところで、受験に使うのは1科目だけなんだから、どうしても、「1ヶ月ちょっと勉強すれば9割取れるステキ科目(なんだそりゃ)」の倫理や政経、「8割程度までは未習者でも到達可能」で「はずしても7割程度」の地理を選ぶのが「普通の」生徒、ということになる。
確かに倫理や政経は近年、問題が難化して、かつてのような「お得感」は薄れつつあるが、それでも勉強の手間は、日本史や世界史に比べると格段に少ない。


言うまでもなく、理系の受験において重要で配点も高いのは数学や理科であって、地理歴史は、センター試験で「失敗」さえしなければいい教科でしかない。
日本史が大好き、という生徒でも、理系であれば通常は地理や政経、倫理を選ぶ。
そして、高校は通常、そのような前提でカリキュラムを組む。


指導方法も、理系については、当たり前だけれども、とにかく数学と理科(特に化学、物理)を優先する。
英語もがんばらせる。
国語は、油断するなよ、くらいに言う。
地歴公民は、「とりあえずほっといて、直前に仕上げろ。早くから始めても忘れる」、というのが「適切な」指導かもしれない。
つまり、「受験」だけを最優先で考えるならば、理系の生徒は、理想的には地理か政経か倫理のうちのいずれか1つを、3年生の後半くらいに集中的にちゃちゃっと片づけてしまう、というのが最も効率のいい対策であるということになる


はい、ところが、学習指導要領には、必履修科目というものがある、と。
公民は、現社か倫理・政経のどっちかを必ず履修しなければならない。
地歴は、世界史がとにかく必履修で、それに加えてもう一つ日本史か地理のどっちか。
公民はまあしょうがないにしても、最終的に受験で全く地歴を必要としない生徒が恐らく半数を超える(適当に言ってます。たぶん超えると思う)理系の受験者にとって、地歴の負担は非常に重いわけだ。
いや、あくまでも「受験」だけを考えた場合、ですよ。
教育の質云々は別の話。


つまり、理系のカリキュラムにとって、地理歴史というのは、最も「邪魔」なわけです。
使いもしないのに、2科目、最低でも4単位は履修しなきゃならんのだから。
いや、個人的には嫌ですよ、日本史も世界史も地理も全然知らない人間なんて育てたくない、そりゃ。
あくまでも「受験」優先に考えた場合です、はい。


そう、だから、ぼくの雑な計算によると、土曜日も普通に授業やってた時代より17単位分も授業時間が少ない今のカリキュラムの中で、理系の地歴公民に割くような時間があろうはずもない。
現場で、「ここを削るしかない」という荒っぽい判断が出てきてしまうのも、そりゃ止められないっす。


現場にしてみれば、ぎりぎりの状況にまで学校を追い込んでおいて、ちょっとズルしたらここぞとばかりに吊し上げる。そんなやり方で非難されているような気がする、と言ったら言い過ぎか。


自分が高校生だった二十余年前は、理系であろうが文系であろうが、地歴公民は、日本史も世界史も地理も、政経も倫理も、全てひととおり履修した。
そしてその際、普通は、1年生で地理を、2年生以降で日本史や世界史を履修していたと思う。
学習の順序として、まず地理を理解した上で世界史や日本史に行った方が効率的だからだ。
ものには何でも順序というものがある。


しかし、現在のような苦しいカリキュラムの中で、受験だけがターゲットになると、そうも言ってられなくなってくる。
例えば地理歴史3科目のうち、複数の科目が同時に必要となるのは、東大の文系等、ごくごく一部に限られるのであって、普通の生徒は、文系であっても1科目しか要らない。
そして、地理というのは、先のサイトにもあったとおり、一般的にセンター試験において「8割程度までは未習者でも到達可能」と目されている科目である。
直前の1〜2ヶ月で「何とかなる」科目だ。
となると、その時期に集中的にやってしまうのが、時間の使い方としては最も効率的であって、カリキュラムとしては、3年生に持ってくるのがいちばんよい、ということになってしまう。
履修洩れがない学校でも、そのような歪みは、どうしても出てくる。


第一、いまどきの高校生は、みんな、1年生の秋には文系・理系の最終決断をしなければならない。
そうでないと、カリキュラム上の受験対応ができないからだ。
でもね、酷ですよ、15〜16歳の子どもに、文理選択なんて。ほんとに。


未履修問題なんて、細かいこと言い出せばまだまだいくらでもあると思う。たぶん。


「情報」なんて、必履修だけど、ほんとに進学校でずーっとパソコンとかやってる?
情報の教員はまだまだ人材不足で、パソコンの得意な数学や理科の先生が、臨時免許で教えているパターンが多いはず。
だとしたら、「情報」という名の下に、数学や理科、やってない? 大丈夫?


英語だって、今の指導要領には、いわゆる「グラマー」「英文法」の時間がない。
その代わりに「オーラル・コミュニケーション」が入っている。
習うより慣れろ式にやれということだろう。
でも、現実に、大学受験に対応するためには、「文法」の時間なしではとても無理だ。
だとしたら、「オーラル・コミュニケーション」という名の下に、文法、やってない? 大丈夫?


要するに、大学受験をいぢらずに、学習指導要領だけえらいこといぢくりまわしてしまった、と。
そのツケが来てるだけなのに、文科省は何も悪くないつもりかしら。


日本の大学入試は非常に複雑で、その対策は見事にテクニカルだ。
入試制度の全体像を的確に理解しているのは、受験産業の関係者と進学校の教員くらいだろう。
受験生本人もわかってないこと多いからな。
親も半分以上はちゃんとわかってないと思う。
だいたいシステムというのは何でも、修正を重ねるに連れてどんどん複雑怪奇になっていくものであって、受験制度も、もはや限界近くまでややこしいものに育ってしまっている。
もうここに抜本的に手を加えるしか、解決法ないんじゃないでしょうか。

履修不足問題について


富山県に端を発した、高校での必修科目の未履修問題は、現時点で31都道府県183校まで広がった。
それくらいやってるところはあるだろうなとは思ったけど、そんなに多いとはちょっと予想外だ。


簡単に説明すると、今の学習指導要領では、地理歴史という「教科」においては、日本史、世界史、地理の3つの「科目」があり、そのうち世界史が「必修科目」となっている。
高校を卒業するには、地理歴史は、世界史を含む2科目以上を履修しなければならない。
日本史・世界史・地理のうち、なぜ世界史だけが必修?という問題ももちろんあるのだけれども、そこはまあまあ別の議論ということで。中教審における経済界からのプレッシャーとか、いろいろあるんでしょう。
で、件の学校は、この世界史を、「やったふり」してすませてた、と。
理系の生徒が受験で地理歴史を2科目必要とすることは、ほぼ100%ない。
社会には、もう1つ「公民」という教科もあるわけで、こちらを選択すれば、地理歴史は1つも必要ないということもしばしばだろう。
そういう状況で、地理歴史を2科目も履修させるのは、実際非常にきつい。
「世界史」という名目の授業で、別の教科を勉強させておこう……。
大まかに言うとそういうことだと思う。


報道も過熱してきた。
これでまたまた学校現場や教委に対する風当たりが強くなるんだろうな。
実際は大変微妙な問題だと思うけれども、文科相は、都道府県教委を悪者にしようという方向で発言しているようだ。
どこがいちばん悪いかっつったら、そりゃあんた、間違いなく文科省なんだけどねえ……。


ぼくは内田樹には全幅の信頼をおいているのだけれども、その内田樹でさえ、今日のブログでは現場に手厳しい。
http://blog.tatsuru.com/archives/001970.php


身内贔屓な面もあるのかもしれないけれども、この問題で、現場の教員を責めるのは、正直、ちょっと酷なのではないかと思う。


現場の教員は、「けっ、受験に使えねえ世界史なんかやってられっかよ」というノリでズルしてるわけでは、たぶん、ない。
学習指導要領に違反したカリキュラムを組むというのは、相当な勇気と覚悟がいる。
教員の世界は、どちらかと言うと、事なかれ主義のムードが優勢だと思っていたので、これだけルール違反をやってる学校があったことは驚きだ。
現場では、苦渋の選択であるはずだ。
推測するに、どこかが「抜け駆け」的にこういうことを始めて、それが、「あそこではやってるらしい」的に徐々に広がり、急速に蔓延していったのではないかと思う。
教員の世界は、「あそこもやってるから」的に安易に流されやすいムードも優勢だからだ。


現場のカリキュラムが、そうまでしなければならないほど追いつめられている理由が3つある。
1つは、学校週5日制。
これがまず最初にやってきた。
土曜の4時間がまるごとなくなったのだから、月にして16〜20時間、年間で百数十時間の授業が失われた。
当然、それまでどおりのカリキュラムが組めるわけがない。
この時点で、進学校では、そのカリキュラム編成において、各教科間で授業時間の奪い合い戦争が勃発したはずだ。


あとの2つはほぼ同時にやってきた。
1つは、新学習指導要領。
今、高校には、かの高名な「総合的な学習の時間」と「情報」という、“受験にはまるで使えねえ”科目が、必修科目としてカリキュラムに入り込んでいる。
ただでさえ少なくなった授業時間の中に、こいつらもぶち込まなければならない。
もちろん男子が「家庭」を履修するのも当たり前ですよ、とっくの昔から。
細かいこと言うなら、英語も、「オーラル・コミュニケーション」という、「受験」には非常に役立てにくい科目が必修。


さらにもう1つは、近年の大学入試科目の増加傾向だ。
数年前から、国公立大学の入試の標準的なスタイルが、それ以前の5教科6科目から、5教科7科目に変わった。


もうこれで、高校のカリキュラムは、ぱんぱんに張っているどころか、どう考えても絶対的に時間が足りない。
「どーすりゃいいのよ!」って、現場ではもう何年も前から悲鳴あがりっぱなし。


全くの私見だけれども、一般的に、高校の教員は、「受験に使えねえ世界史なんかやんなくてもいいだろ」と考えているわけではない。
内田樹が書いているような的確な理路ではないけれども、「受験に必要なくても、物理だって倫理だって(この2科目がよく例に挙がる)、何だって少しくらいはかじっておいた方がいいんだけどなあ」くらいのことを言う一般常識くらいは、高校教員にだってある。
ちょっとでも学校でやらされてりゃ、そういう世界もあることを知れるし、ひょっとすると後で自分でやり直すきっかけになったりするかもしれない。
生徒の人生を大きく考えれば、全部履修しておいた方がいいに決まっている。
……そんくらいのことは、一般の高校教員だってわかってる。と思う。


実際、二十余年前、我々の高校時代は、思えばまだまだ牧歌的だった。
ぼくは私立文系だったけれども、物理も履修させられた。
社会は、日本史も世界史も地理も、倫理も政経も全部やらされた。
カリキュラムにそれだけの余裕があったからだ。


冷静に計算してみましょう。
月〜金が6時間で、6×5=30。土曜日の4時間を足して、週に34単位。3年間で、102単位。
これが昔の数。(実際にはホームルームとかもあるから、もうちょっと複雑なんだけど、話を単純にして進めます)
今は、月〜金の30単位のみ。それが3年で90単位。
さらに、総合的な学習の時間が1単位ずつ3年間入るし、情報が2単位必履修だから、昔との比較で行くと、「受験に使える授業」は、合わせて−5単位で、85単位。
102−85=17単位!
もちろん、大学の入試は、ほとんど何も変わってません。
変わったのは高校の授業時間数だけ。
当然、それに合わせて入試問題のレベルは昔に比べて下がってるけど、高校でかかる手間は変わらない。
例えば日本史だったら、縄文時代から近現代まで、ひととおりやらなきゃならないことに変わりはないんだから、必要とする授業時間数は、入試問題のレベルとはほとんど関係がない。


そりゃ今より17単位も多かったら、誰もズルしないと思うよ。
世界史の必履修単位なんて、2単位でしょ、確か。
じゅうぶんお釣りが来ます。
実際、事の発端となった高岡南高校なんて、ズルしながらも、さらに7限授業を週に3日もやってたらしいじゃないの。
いちおうそれなりの経営努力はしてるんだと思う。
たぶん土曜も課外やってるだろうし。知らないけど。
7限授業が週に3日もあったら、めちゃくちゃ大変よ。
クラブ活動の時間が保証できないから、野球部の顧問の先生とかが大反対したり、とかさ。
世界史の2単位すら工面できないくらい、現場はひーひー言ってるのだ。


安倍首相のコメントがふるってる。
「驚いた。こういうことが起こるとは考えられなかった。子供たちの将来に支障をきたすことがないように、ちゃんと対応してもらいたい」
……これを聞いた現場の高校教員は、全員が激怒したんじゃないでしょうか。
敵、増やしたよ、たぶん。
あのさ、現場の教員は、あんたの1万倍は「子供たちの将来」のこと、考えてると思うよ。
いや、教員が考えているのは、確かに「子供たちの将来」じゃなくて、「学校の進学実績」かもしれないです、そりゃ。
でも、それは、哀しいかな、進学校の子供たちと、ほぼ100%利害が一致する。
進学校の子供たちやその保護者は、通常、「私たちの将来を大きな視野で熟慮し、目先の受験にとらわれない全人的な教育を行ってほしい」といった要求を行わない。
彼らが求めるのもまた、「受験への対応」なんです、圧倒的に。
もっと予備校みたいにやれ、などという哀しい意見の方が、「顧客」である生徒や保護者からは全然強いのだ。
第一、「顧客」のことをしっかり考えてなきゃ、何も無理に「違反」してまで危険を冒すようなカリキュラム組むわけねえじゃねえか。
それとも何か?単にめんどくせえから世界史スキップしたとでも思ってんのか?


こんな無理な状況を作り出しておいて、それでもまだ現場や県教委を悪者にしようという文科省は、いったいどういうつもりなのだろうか。


同じく内田樹が、数日前のエントリーで、このように(↓)書いている。
http://blog.tatsuru.com/archives/001961.php
全くもってそのとおりだと思う。
普通科高校にだって、東大や京大にばんばん生徒を送り込む学校もあれば、3年間のうちに生徒の3分の1が退学してしまうような学校もある。
それを全部同一の学習指導要領でガチガチに規制してしまうことがそもそもおかしい。


もちろん、最初に「抜け駆け」して、「ズル」を蔓延させた学校の罪は重い。
「あそこもやってるから」的にズルを追随した学校も、無論、悪い。
しかし、少子化で高校も統廃合が進む中、生き残りをかけて何とか進学実績を作ろうとするのも、人情としては仕方ない部分があるんじゃないかと思う。


そういうわけなので、内田先生、少しは情状酌量の余地、ないでしょうか……。

光ファイバー


うちのマンションに光ケーブルがやってきました。
せっかくだからということで、乗り換えてみました。フレッツ光プレミアムに。
ついでに電話もひかり電話


なんか、最近の電話ってどうにもややこしくて、マイライン登録以降、市内、県内、県外がそれぞれ別々に請求来るし、その上、少し前にうっかりIP電話も使えるようにしてしまったら、もう何が何だかわからなくなってしまった。
電話しているとき、今どの回線を使ってるのかも把握できていないし、電話番号が2つもあるのも(IP電話もあるから)よくわからない。
すっきりしないから、もういっそひかり電話1本にしてしまえ、と。そういうわけです。


で、今日宅内工事だったんだけれども、報道されているとおり、NTT西のひかり電話は一昨日から不具合発生。
もう復旧したはずだったのに、今日つないでみると、やっぱりまだ制限がかかってる様子とのことで、うまく発信できない。
結局もとの状態にまた戻してもらって、後日再工事とあいなりました。
うーむ、やっぱりダメなのか、ひかり電話


ネットも、ずっとODNのADSLだったんですが、今回を機にニフティに乗り換えました。
別にプロバイダなんてどこでも大差ないと思うけど、まあ微妙な違いをいろいろ比べまして。
ODNのメールアカウントには、毎日50通以上メールが届くんだけども、その8割くらいはジャンクメールという状態で、こっちもいっそ1からやり直そう、と。
コンテンツもよくないし、ODN。


そういうわけで、メールアドレスが変わりました。
友人・知人の皆様、順次お知らせメールを発信しますが、3日ほど経っても届かなかったら、お手数ですが御一報くださいませんでしょうか。
これまでのODNのアドレスは、31日以降は使えなくなります。
以上、業務連絡でした。

いましろたかし『ラララ劇場』を読む


いましろたかしを初めて読んだのは、『タコポン』というマンガだった。
調べてみると、ちょうど10年くらい前で、当時何故か購読していたアクションで連載が始まった。
が、これは、原作つきであることもあり、どう考えても本来のいましろたかしの作風ではなく、当時も全くピンとこなかった。
その次の『ぼくトンちゃん』も、『タコポン』よりはかわいいからいい感じだったし、とにかく意味がよくわからなくて印象には強く残っているけれども、とりわけ好きなわけではない。


いましろたかしをこよなく愛するようになったのは、単行本『クール井上』を読んでからだ。


「平成のつげ義春」、というのはちょっと言い過ぎだと思うけれども、確かに、この「人間やめたいです」的な脱力感とダメさ加減は、一脈通じるものがある。
いましろたかしの作品評価には「ダウナー」という言葉がよく使われるけれども、なるほど、それがよいと思う。


どうにもやる気が出ないときや、気分がダウンなとき、もう何もする気になれないようなときにでも読めるマンガ。
『クール井上』は、そういう種類の作品だ。
こっちが弱ってるときは、やたら元気にはしゃぎ回ってもらったり、力強く励まされたりするのはかえって迷惑なのであって、自分より同じかそれ以下のテンションで接してもらわなければ困る。
『クール井上』は、もはやこれが最低限であろうと思われるほどの低いテンションで、始めから終わりまでだらだらと、どうしようもなく1冊つづく。


ラララ劇場』は、さらにテンション低かった。
一気に読んだ。
帯の惹句が実に適切だ。
表紙側は、「やる気がない…そんなアナタへ」。
裏表紙側は、「テンションの低いサラリーマンを描かせたら世界一、華のないロックバンドを描かせたら世界一、必ず失敗する不倫衝動を描かせたら世界一」。
うーん、そのとおりだと思います。


知らなかったんだけど、既に発売後1年が経過しており、じきに入手が難しくなると思われるので、興味のある方は早めの購入をお勧めします。